今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 永田雅一のオーナー論
今回は『1962年12月10日号』。定価は40円だ。
ストーブリーグ最大の焦点だった西鉄・
豊田泰光の国鉄入りが決まった。下手をしたら越年し、もめにもめるはず、との予想を裏切り、11月中の決着だった。
経緯を少し抜粋する。
11月26日、豊田から西鉄・西亦次郎社長に電話があり、移籍希望を伝えたという。その後、西社長は球団で会議。「気持ちの切れた選手を無理やり引き留めても仕方がない」と結論を出し、すぐ記者会見。
「豊田を国鉄に正式に送り出すことを決めました。国鉄には交換でほしい選手はいないのでトレードマネーで譲ります」と話した。
実際には、こんな単純な話ではない。
かなり前から豊田は国鉄への移籍希望を西鉄に伝え、西鉄は交換相手として最初は
金田正一、二番目に
徳武定之、
村田元一。最後は村田だけでもと話したが、いずれも折り合いがつかず、金銭となったらしい。
西社長が「豊田は出さない」と言ったのも、事実だ。ただ、国鉄側は、実質的オーナーと言える産経の水野成夫社長が、豊富な人脈を駆使し、政治家も動かしながら西鉄本社をまずは納得させた。
雇われ社長だった西は、親会社同士のやり取りに翻ろうされていただけとも言える。三浦という人物とのやり取りは、なかば脅迫されているようでもあった。
これで西鉄には、国鉄からトレードマネー5000万円が入り、ウワサされていたとおり、外国人選手の補強資金にあてることになったようだ。
南海・
鶴岡一人監督獲得に失敗した大毎・永田雅一社長の話もあった。
その中のオーナー論が面白い。
「永田オーナーはカネも出すが口も出すと言われるが、そんなの当たり前。オーナーとは何だ、持ち主だ。口も出す、カネも出す、当たり前のことじゃないか。カネだけ出してお前勝手にやれ、そんなやり方ありませんよ」
言うことは言うが責任も持つの意か。確かに当たり前だ。
もめていた
広島の監督問題は、やはり
白石勝巳常務の監督復帰で収まった。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM