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西鉄・中西太監督は言う。「豊田が出ていってよかった」/週べ1962年12月17日号【246】

 

 今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。

藤村富美男がスワローズのコーチに


表紙は西鉄・稲尾和久


 今回は『1962年12月17日号』。定価は40円だ。

 ウワサどおり、西鉄・豊田泰光の国鉄移籍が決まったという話は前回。
 今回は豊田本人、西鉄・中西太兼任監督、稲尾和久への取材記事が載っていた。

 中西は、「チームワークのことを考えれば豊田が出ていったほうがプラスだ」と言い切った。

 中西と豊田は西鉄の打の二枚看板。この年はともに兼任で中西が監督、豊田が助監督となったが、ともに故障に苦しんだ。
 ただ中西が44試合の出場に終わったのに対し、豊田は130試合出場。「俺はケガをしても出ているのに、太っさんは情けない」と思っても仕方がないだろう。

 豊田はそれを胸のうちにではなく、マスコミの前でも平気で口にした。

 2人の相性の悪さは昔からだ。いつもおおらかな中西に対し、一言多く、しかも辛口の豊田。監督就任前は我慢し、「あいつは口か悪いからな」ですませていたが、指揮官になった自分に対し、選手やマスコミを前にした批判は、豊田が助監督だっただけに許せなかったようだ、

 中西だけではなく、歯に衣着せぬ豊田に腹を立てていた選手は多かった。

 ただ、黄金時代の西鉄、V9時代の巨人にしても、ふだんは仲が悪くてもグラウンドに出たら一つになった。
 野武士軍団も、ヤワになってきたのか。
 
 退団発表から、いまだ福岡に帰っていない豊田にも直撃。さまざまな質問に対し、西鉄への感謝を語っていたが、移籍については「いまは僕の口からは言えない」だった。
 稲尾は、ほぼノーコメント。中西、豊田のどちらとも仲がよかった。

 7勝に終わった不満分子の堀本律雄を交換要員に大毎・田宮謙次郎獲得に動いていた巨人だが、田宮が残留を求め、永田雅一オーナーに直訴したことで立ち消え。
 最終的には堀本─柳田利夫とのトレードとなった。

 国鉄のコーチにミスタータイガース、藤村富美男が就任。
「私の仕事は過去の藤村、タイガースの藤村ではなく、スワローズに溶け込んだ藤村富美男になることだ」
 と力強く語りながら「一つ心残りは」と、大阪と東京、夫人と離れて暮らすことを挙げた。
 夫人のきぬさんは、先妻が亡くなった後の後妻。生前、お話を聞いたことがあるが、本当に優しい人だった。

 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM

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