いよいよ第100回の大きな節目を迎える夏の甲子園。その歴史にこそ届かないが、80年を超えるプロ野球を彩ってきた選手たちによる出身地別のドリームチームを編成してみた。優勝旗が翻るのは、どの都道府県か……? 成長著しいスラッガー
那覇市のある沖縄本島、石垣島などの先島諸島など無数の島々からなり、“美ら海”に囲まれている沖縄県。温暖な気候のため、2月にはプロ野球のキャンプでにぎわう。古くは琉球王朝があり、江戸時代には薩摩藩の信仰を受けるなど歴史に翻弄され、1972年5月までは米軍の占領下に置かれていた。
それはプロ野球とも無縁ではない。64年に
安仁屋宗八が
広島へ入団すると、“沖縄の星”と話題に。いわゆる沖縄返還を経て、その後は多くのプロ野球選手が誕生するが、当時は奇跡にも似た快挙だった。ドリームチームのエースも安仁屋。首都の東京に本拠地を置き、V9を謳歌する
巨人を相手に好勝負を演じた右腕だ。
【沖縄ドリームチーム】
一(遊)
真喜志康永(近鉄)
二(二)
大城滉二(
オリックス)★
三(右)
宮里太(横浜)
四(左)
石嶺和彦(阪急ほか)
五(三)山川穂高(西武)★
六(一)
渡真利克則(
阪神ほか)
七(中)
伊志嶺翔大(
ロッテ)★
八(捕)
嶺井博希(
DeNA)★
九(投)安仁屋宗八(広島ほか)
(★は現役)
主砲は90年に打点王となった石嶺和彦だろう。捕手出身で、のちに外野へ転向、出場は指名打者が多かったが、守備に就くときは左翼を守ることが多かった。同じく捕手出身で、外野すべてに一塁も守りながら低迷する大洋、横浜を支えた外野手が宮里太。シュアな打撃が光った左打者で、石嶺と三番、四番コンビを形成する。残る外野の1人は現役の伊志嶺翔大と
比屋根渉(
ヤクルト)が争っている状態。どちらも不動のレギュラーには届いていないだけに、今後の活躍が待たれる存在だ。
石嶺と宮里のどちらかを司令塔に据えて比屋根を先発に並べてもいいが、捕手では嶺井博希が成長していて、迎えた2018年は併用ながら正捕手の筆頭候補とも言える存在。外野守備のスペシャリストでもある比屋根は控えに温存して、守備に不安のある石嶺のバックアップに備えたいところだ。現役の捕手では
伊志嶺忠(
楽天)もいて、捕手には不安が少ないと言えるだろう。
対照的に内野はギリギリの布陣だ。一塁に重なるのが、猛虎フィーバーに沸いた85年の優勝決定試合でウイニングボールをキャッチした渡真利克則と、その成長も著しい現役の山川穂高。その一方で、三塁手は不在だ。わずかに三塁を経験し、“おかわり君2世”と呼ばれた山川を、ここでは三塁へコンバート。打順は石嶺に続く五番打者だ。ズバリ、期待されるのはホームランだ。
九番・遊撃で89年に近鉄の優勝に貢献した真喜志康永は、ここでも不動の遊撃手で、打順は“繰り下げ”で一番打者に。続く二番が現役の大城滉二。二塁のほかに遊撃や三塁、外野もこなせる貴重な存在で、職人タイプの二遊間が打順でもコンビを組む。
エースの座をうかがう鷹の新星
先駆者でもある安仁屋の存在もあってか、投手陣は充実している。安仁屋に続くエース候補は現役の東浜巨(ソフトバンク)だろう。
2000年代のホークス黄金時代に貢献したのが
新垣渚(ダイエーほか)だ。左腕の
仲田幸司(阪神ほか)が投げるときは興南高のときと同様に
仲田秀司(西武)とのバッテリーを組みたい。
リリーバーでは
デニー友利(友利結。西武ほか)や、やはり“沖縄の星”と呼ばれた
上原晃(
中日ほか)も印象に残る。
ちなみに、安仁屋が初の沖縄出身プロ野球選手と思われがちだが、第1号は51年にプロ入りを果たした
金城政夫(東急ほか)。やはり投手だったが、白星には恵まれなかった。
写真=BBM