長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。 三段階で伸びる直球と大きく曲がるドロップ
いまも、その年のNo.1先発投手に贈られる「沢村賞」として名を残す伝説的投手である沢村栄治。戦前、巨人の投手としてノーヒットノーランを3回記録するなど、規格外のピッチングを繰り広げていた。残念ながら太平洋戦争で戦死したが、後年、同時代をプレーした選手の話で共通していたのは「低めのストレートがホップした」ということだ。
例えばタイガースの主力打者だった
松木謙治郎に言わせると、「ベルトより下の低めの直球が、ピュッピュッピュッと節をつけて三段階くらい伸びてくる。ベルトあたりにストライクが来たと思ってバットを出すと、加速をつけて伸びてくるからボールを振ってしまう」という。
そういうスピードのあるストレートを生かしたのが、当時はドロップと呼んだ鋭くストンと落ちた独特のカーブだ。京都商時代から、そのドロップは冴えていて、市岡中時代に対戦した
南村不可止は次のように証言している。
「こっちは目線を下げてスピードボールを狙おうと思うと、ストンと落とされる。リストが非常に強い人で、そのドロップは一度、ポーンと上がってから落ちてきた。落差が人より大きいから打てなかった」
1934年、沢村が大リーグ選抜相手に好投したピッチングも伝説的だ。その試合でも沢村はストレートとカーブで大リーグの強打者をキリキリ舞いにさせた。だが、大リーガーたちは沢村のあるクセを見抜いたという。沢村はカーブを投げるとき、唇を噛むような、口元をゆがめるようなクセがあったのだ。
一説には沢村のストレートに三振したベーブ・ルース(
ヤンキース)が「あのフック(カーブ)の曲がりっぱなを叩け」と言ったとも伝えられるが、0対0の7回、ルー・ゲーリッグ(ヤンキース)がソロアーチ。決勝弾を打ったのは直球でストライクを取った後の、口元をゆがめた大きなカーブだった。
沢村は以降、そのクセを見せることがなかったという。
写真=BBM