チクリと毒を吐きつつエール
二十一通の手紙から成る自著『
野村克也からの手紙』(小社刊)。二通目は、ヤクルト監督時代の教え子、
稲葉篤紀へのメッセージだ。
稲葉が侍ジャパン監督に就いたとき、ノムさんは、
「大丈夫か」
と怪訝(けげん)な顏で言った。
稲葉のプロ入りは、ノムさんがいてこそであった(とノムさんは言う)。
スカウト陣はほぼノーマークで、リストにも挙がっていなかった稲葉を強く推し、球団も要望どおり、1994年のドラフト会議で3位指名した。
理由は、明大にいた息子・克則の試合を観戦した際、法大の四番だった稲葉のホームランをたまたま見たから、という。
冒頭の怪訝な顔、で勘違いされると困る。
ノムさんは稲葉の野球に対する真摯な取り組みを高く評価し、将来的にはいい指導者になると思っていたが、指導者経験がほとんどなく、しかも選考理由の1つが『世代的に選手と近い』とあったのに、カチンと来たようだ。
『「社員との距離が近いから」と言って社長を選ぶ会社があるか』
とも書いている。
さすがノムさんの手紙。耳に優しい言葉ばかりではない。
ただ……、考えてみれば、ノムさんは指導者を経ず、どころか南海ではいきなり兼任監督となり、
江夏豊と一晩中、野球論を交わすなど、意外と熱いところも見せていた。
失礼、自身の経験も踏まえての言葉だろう。
その後は、ノムさんは稲葉に向け、自らの考える監督論を説明し、これからもしっかり勉強し、選手たちの信頼、信用を勝ち取ってほしい、と書いている。
「信は万物の基を成す」
ノムさんの好きな言葉の1つだ。
最後、稲葉に、次の言葉を贈っていた。
「監督が選手を引っ張るには、言葉しかない」