7月4日、
DeNA戦(東京ドーム)の2回表、この日の登板の後、二軍降格となった
巨人・
田口麗斗が“置き土産”とばかり、振り逃げを含む1イニング4奪三振をマーク。
さらに、その4日後、8日の
ソフトバンク戦(京セラドーム)では、
オリックスの
ディクソンが8回に同じく振り逃げを含む4奪三振を記録した。
ディクソンでプロ野球23人目となる記録。80年以上の歴史を誇る日本プロ野球において決して多い数ではないにせよ、超レアな記録というわけでもない。
ただ、実は、このうち22人までが1993年以降に達成した選手なのである。
つまり、それまでは1人、球界の珍記録として、よく紹介されていた。
1959年7月5日、大洋─
広島のダブルヘッダー第2試合での出来事だった(川崎)。大洋は、プロ2年目の
幸田優が先発。1年目は1勝もできなかったが、この年はすでに6勝を挙げていた。
初回を三者凡退に抑え、続く2回表だった。先頭打者・
大和田明がフルカウントから振り逃げで一塁へ。
幸田は、次打者
藤井弘、
横溝桂と2者連続三振も、続く
上田利治がレフト前ヒットで二塁に盗塁で進んでいた
大和田が生還し、1点を失った。
しかし、幸田は、その後の
興津達雄を三振で、めでたく(?)1イニング4奪三振の珍記録が日本プロ野球に生まれたわけだ。
その後、この記録が増えたのは、フォークボールなどタテ変化の球が増え、奪三振そのものが増えたこともあるし、投手の球速アップ、フォーク等、縦変化の球種増に捕手の技術がついていっていないからとも言われるが、確かに1週間に2度も起きる記録ではなかった。
写真=BBM