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川口和久WEBコラム

わが友・津田恒実の心に刺さる言葉、「弱気は最大の敵」(川口和久WEBコラム)

 

少年がそのまま大人になったような男


2人ともまだ若いな


 今年もまた、7月20日がきた。
 いまでも少し心がざわざわする。

 1993年7月20日、突然、あいつが亡くなったという電話をもらい、あわてて広島から山口の実家まで車を飛ばした。

 病気のことは聞いていたけど、まさか死ぬほどひどかったとは知らなかったんで、びっくりした。

 顔を見せてほしいと言ったら、最初、断られたんだ。
「苦しんだので、見せられない……」と。
 それでも無理を言って見せてもらったけど、顔を見た途端、涙が止まらなくなった。

 脳腫瘍って、頭のガンみたいなものなのかな。痛かったんだろうね。それでも必死に生きようと最後まで戦ったんだろうな。
 あいつの負けん気の強さが出た顔だった……。

 俺は1981年のドラフト1位、あいつ、津田恒実は翌82年のドラフト1位で広島に入った。2人とも高校、社会人コースで年は俺が1つ上だった。

 俺は1年目一軍では、ほとんど仕事をしてないからスタートは一緒みたいなもんだった。いや、俺は2年目4勝、向こうは11勝で新人王だから、むしろ先を越されていたかな。

 83年、俺が15勝した年は、あいつも先発だったから左右の違いはあったけど、マスコミや周囲から「ライバル」という見方をされていた。
 実際、俺も、「あいつが勝ったから今度は俺も勝つ!」と思っていた。たぶん、あいつもそう思っていたんじゃないかな。
 ただ、ライバルとは少し違うかもしれない。仲もよかったし、お互いが、いい刺激になったという感じだった。
 俺にとって津田は、一緒に歩んで、一緒に戦った仲間だったんだ。
 
 当時の広島投手陣について説明しておいたほうがいいかな。
 北別府学さん、大野豊さん、山根和夫さんとかいて投手王国と言われた時代だけど、みんな年齢も近かったから、すごく仲がよかった。よくみんなで食事に行ったしね。
 
 プロ野球選手は個人事業主ではあるけど、あのときのカープ投手陣は、「みんなで頑張ってチームを支えよう」という気持ちがすごく強くあった。
 馴れ合いじゃないよ。野球に関しては、みんなシビアだったけど、一人だけよければいいという人はいなかったと思う。

 その投手陣のアイドルが津田だった。
 陽気で、一言で言えば、「子ども」。それもいたずらっこ、いや、悪ガキかな。少年がそのまま大人になったみたいなヤツだった。
 みんなのいじられ役でもあったけど、「やめてくださいよ」と言いながら、いつもニコニコしていた。俺たちはみんなアイツのことが好きだった。

 ピッチングに関しては、指の血行障害もあって、その後、しばらく低迷したけど、86年にコーチだった安仁屋宗八さんが抑えに回して一気にブレークした。
 
 ストレートは、もともと速かったけど、短いイニングで全力で投げたから、ほとんど150キロ以上だったと思う。
 当時、セ・リーグで150キロ以上というと、津田と中日小松辰雄くらいかな。
 小松も速かったけど、2人は、まったく球質が違う。小松は波動砲みたいにズドンと来る。津田はスピン量が多いから、重力に逆らうように伸びる。阪神藤川球児のいいときに似てるね。

 当時、巨人戦はすべて地上波で生中継されて、視聴率も20パーセントを超えてた時代。あいつは、その高視聴率番組のクライマックスで、いつも登板するわけだよね。先発の俺らよりは、ずっと有名人で人気者だった。
 
 でも、抑えは勝てばいいけど、打たれたらボロクソ言われるし、味方にも申し訳ない。俺も巨人で一時期やったけど、きつい仕事だよね。
 しかも、あいつ、マウンドでは打者をにらみつけるような怖い顔をしてたけど、結構緊張するタイプだったし、本当は気が小さいところもあった。

 そんな津田がストッパーとして生き残るための信条が「弱気は最大の敵」だった。

 あれは誰にでも通じる言葉じゃない。津田の強気に攻めていくスタイルがあって、あいつ自身が常に強気なピッチャーでいたいという中での言葉だと思う。

 短いイニングで、ほとんどストレート一本。球質的にも低目に投げてゴロを打たせるというより、しっかり腕を振って空振りを取るタイプ。さらに言えば、強気にと言い聞かせないと、弱気が顔を出す性格でもあった。

あんな真っすぐな男はいない


 俺は、ピッチングには強気も弱気も必要だな、と思っていた。
 打つなら打ってみろ、という気持ちも大事だけど、それだと、どうしても雑になる。打たれちゃダメ、ここで打たれたら終わるという場面もあるからね。
 弱気だって、ときとして味方になるんだ。

 弱気を最大の味方にしたのが、巨人の定岡正二さんじゃないかな。サダさんのピッチングは、用心深く、慎重だった。うりゃあ! と押すんじゃなく、引きながら引きながらスライダーと真っすぐをうまく駆使する。それでも、2ケタ勝っていたし、カープキラーとも呼ばれた。
 それもまた、ピッチャーの一つのスタイルだよね。

 最近、サダさんとはよくゴルフをするけど、パターがまた弱気なんだ。
 でも、パターとピッチングって似てるかもしれないね。慎重になり過ぎず、強気に攻めたほうがうまくいくときもあるし、大ケガするときもある。
 津田のピッチングにも、そんな紙一重のギリギリの雰囲気があった。

 なぜなんだろうな。津田の「弱気は最大の敵」は、弱気も味方にしようとした俺の心にもすごく刺さる。俺だけじゃないか。現役でも楽天則本昂大がグラブに刺しゅうしたりしている。
 早く亡くなったという悲劇性もあるけど、ピッチャーという孤独なポジションの中で、誰もが、一度は同じようなことを自分自身に言い聞かせることがあるからかもしれない。

 いい言葉だし、重い言葉だと思うよ。
 俺は間近であいつのピッチングを見ていたから、なおさらそう思う。

 あれからもう25年か……ほんと早いね。

 不器用なくらい、全力投球の男だったな。野球でも普段もそう。
 津田、俺はもう59歳のおっさんになってしまったが、お前も生きていたら、もうすぐ58歳だぜ。驚くだろ。

 ただな、俺は59のおっさんになっても、いまだに、お前ほど真っすぐな男に出会ったことがない。それだけははっきり言えるよ。
 
写真=BBM
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