今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 王貞治、笑顔で帰宅
今回は『1963年5月6日号』。定価は50円だ。
連覇を狙う
阪神だが、開幕ダッシュに失敗。理由には前年のMVP・
村山実の不振があるが、その背後に
小山正明、さらに藤本定義監督との確執があったようだ。
一つひとつは、細かいことだが、積もり積もってプライド高き男、村山の心を傷つけた。
最初はやはりMVPが成績的には上と思われた小山ではなく、村山に輝いたことからだ。
小山も悪気はないのだろうが、基本毒舌。
「ちぇ、あほらし。あれがMVPかいな。俺を忘れたのと違うかいな」
と記者たちの前で平気で言う。これは当然、回り回って村山の耳にも入る。言いたことがあっても小山は先輩だ。のみ込むしかない。
その後、契約更改で歴史的なゴネ方をした小山に対し、藤本監督が気を使うのも面白くない。
「自分は早めに契約更改をし、自主トレも一生懸命やった。米キャンプぎりぎりまでゴネた小山さんがなぜ厚遇されるのか」
と思ったのだろう。
アメリカキャンプから帰国した会見でも、こんなことがあった。
出席者は藤本監督、
青田昇コーチ、
吉田義男、小山、村山。年下の村山は一番最後に入ってきたが、席が藤本監督の隣しか空いておらず、そこに座った。すると、藤本監督は、
「おい、ムラ、そこをどいて小山に座らせろ」
村山は立ち上がり、一度は小山と席を代わって座ったが、すぐ立ち上がり、目の前にあった爪楊枝を鷲づかみすると、叩きつけて席を蹴った。
さらに小山がスローペースの調整をしていたこともあり、「自分が」と思っていた開幕投手が小山になった。それを聞いた後、練習の途中なのに家に帰ってしまったという。
藤本監督もあわてて村山の家を訪れ、話し合いを持った。投手育成名人も少々しくじったようだ。
ただ、村山は前年の熱投と、おそらくはストレスもあって体調を崩し、目の下にクマができ、血液検査では、白血球数で異常な数値が出た。
試合もなかなか勝てず、ついに「しばらく待っていてください」と自ら離脱を選んだ。
愉快な記事もあった。
巨人・王貞治の実家である中華料理屋『五十番』で、両親が巨人戦のテレビ中継を見ているところを取材しようという企画だ。
ただ、店は営業時間中。王の活躍もあって大盛況だ。
2人とものんびりテレビを見ているわけにはいかない。父親は厨房で料理、母親は接客で大忙し。ただ、そうは言っても息子のことも気になる……。
両親の姿やお客さんの反応がホームドラマのように描写されていた。
試合は、15時開始のゲームで巨人が勝利、王は5号本塁打を放った。
最後がいい。
黄昏。さすがに街を行く人通りも少なくなる。
そして、
「ただいま」
明るい声がした。
「御苦労様」「5号ホーマーおめでとう」
お客さんが口々に叫んで拍手。
王が帰ってきたのだ。ホームラン賞を両手にかかえて顔中が笑いでいっぱい。
お母さんがレジのところで目を細くする。
まさに庶民のヒーローだ。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM