滅多打ちをくらった西山に声をかける長嶋監督。中央右
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は8月2日だ。
夏場は暑さもあって投手の疲労度が高くなるのか、荒れた試合が多くなる傾向がある。
前日の8月1日にしても
ヤクルト─
広島(神宮)が7対13、
西武─
ソフトバンク(メットライフ)が6対14と、いずれもホームチームが滅多打ちを食らった。
しかも一時、ヤクルトは1対13、西武は2対14と引き離され、まさしくジェノサイド(大虐殺)状態となった。
7対1と大勝した翌日の
巨人ファンには申し訳ないが、今回は1997年8月2日、長嶋巨人の大惨敗を振り返ってみたい。
前年96年メークドラマでリーグ優勝も日本一を逃した巨人は、西武から
清原和博、近鉄から
石井浩郎、
ロッテから左腕のヒルマンと大型補強を行った。
しかし結果的には球団史に残る低迷が続き、最終的には4位だったが、終盤の9月4日時点でまだ最下位。
前日の8月1日、甲子園で
阪神に敗れた巨人は両リーグ一番乗りの50敗。36勝50敗で勝率.419となった。
迎えた8月2日の同カードは、さらに悲惨だ。
序盤は巨人・
槙原寛己、阪神・
湯舟敏郎の投げ合いとなったが、巨人が0対3とリードされて迎えた8回裏にジェノサイドが起こる。
新人の
小野仁、続く
西山一宇に阪神打線が襲い掛かり、単打6本、二塁打2本、本塁打2本、四球2で、しめて10失点。
途中、
長嶋茂雄監督がマウンドに行き、つるべ打ちに合う西山に「満員のお客さんが見ているんだ。最後まであきらめるな!」と活を入れたが、時すでに遅しだった(試合は3対13)。
さらにこの日、打率.333と今一番頼もしい男、石井が走塁中に右太ももを痛め、登録抹消。まさに悪夢の一夜になってしまった。
なお、巨人史上イニング2ケタ失点は、これが5度目だった。
写真=BBM