横浜高の四番・万波は北神奈川大会で打率.542、2本塁打、12打点で3年連続甲子園出場に貢献。鎌倉学園との決勝でも推定130メートル弾を、横浜スタジアムの左翼席最上段へ運んだ
2016年4月、入学当時の言葉が忘れられない。
「大きく、育てていきたいです!!」
前年秋、甲子園通算5度の優勝を誇る名将・渡辺元智監督からバトンを継いだ横浜高・平田徹監督は「大器晩成型」と語った。1年春の県大会からベンチ入りした逸材は、すぐに出場機会にも恵まれた。
「英才教育」を積ませたのは当時1年生で、すでに190センチ、92キロと鳴り物入りで名門・横浜高の門をたたいた右のスラッガー・
万波中正である。
万波に限らず、同校の有望新人は伝統的に早くから実戦で経験を積ませる方針がある。練習では、130メートル級の規格外の飛距離を連発。1年夏の県大会では、横浜スタジアムのバックスクリーンへライナー弾を放つなど、高いポテンシャルを発揮していた。
ところが、豪快な打撃の一方で、粗さも同居。つまり、確実性に欠けていたのだ。長所を伸ばす指導スタイルである平田監督は、万波の個性を尊重。仮に結果が伴わなくても、話し合いを重ねながら、試合では起用し続けた。
それは、なぜか? 常に前向きで、チームメートの全員が認める「練習の虫」。だが、なかなか努力の成果が結び付かない。3年生となったこの春、平田監督はついに、我慢の限界に達した。前年秋の四番から七番に下がると、ついには先発からも外れた。
それでも、万波は前を向く。本職は外野手だが、右腕投手として140キロ台後半を投げ込む「二刀流」。投手心理を理解できるため、味方がピンチの場面では、自ら伝令役を買って出てナインを鼓舞。ところが、立場はさらに厳しいものとなる。
関東大会では当初の登録メンバーから漏れ、最終締め切りで滑り込み(背番号13)。今夏も一次登録20人から漏れた。だから、大会パンフレットにも、万波の名前は記載されていない。まさか、最後の夏はスタンド応援?
だが、何とか瀬戸際で踏ん張り、背番号13を手にしている。泣いても笑っても最後の夏。もう、開き直るしかない。平田監督は「大きい選手というのは、時間がかかるんです」と、語っていたこともある。
その言葉どおり、指揮官は長い目で見続けた。ついに、待ちに待った覚醒のときがやってきた。不振のときも、悔しさを押し殺し、チームのために動いた万波。こうした小さな積み重ねを、誰もが存在を信じる「野球の神様」は、見捨てなかった。
南神奈川大会、万波は打率.542(24打数13安打)、2本塁打、12打点と3年連続の甲子園出場の原動力となった。名門をけん引する、堂々の四番打者へと飛躍を遂げた。就任から3度目の夏を戦う平田監督にとっても、高校生の成長が、計り知れない力を秘めていることをあらためて知る機会となったはずだ。
かねてから「プロ志向」だった万波も春以降、卒業後の進路について多くを語らなくなった。個人の思いは心に秘め、チームの勝利のため、目の前のプレーに集中する。そうした懸命な姿も必ず、NPBスカウトに伝わるものだ。
さて、万波は今夏の第100回記念大会で全国制覇を遂げるため、横浜高へ入学した背景がある。8月5日に開幕する夏の甲子園。平田監督へ恩返しする夏は、まだまだ続きがある。
万波にとっても1年夏、2年夏に続いて3度目の甲子園。昨夏は広陵高・
中村奨成(現
広島)が大会記録を更新する6本塁打を放ち、強烈なインパクトを残した。2018年夏は万波のバットに「夢物語」を託したくなる。それだけの期待ができるポテンシャルの持ち主だ。
文=岡本朋祐 写真=田中慎一郎