今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 国鉄・金田正一の3人の恩人
今回は『1963年7月15日号』。定価は40円だ。
表紙にもなっている巨人・柴田勲の大躍進が止まらない。
7月1日時点で盗塁はリーグ最多の25、打率はいまだ規定打席には達していないが、.326をマークしている。
甘いマスクと少しやんちゃなキャラもあってか、若い女性ファン人気はON以上だったようだ。
6月22日には、国鉄・
金田正一が、ついに通算311勝の日本最多勝新記録をマークした。
本誌では3人の隠れた“恩人”たちを紹介している。
一人は入団時、兄のように慕っていた
古谷法夫。金田のドロップは、古谷をまねて投げ始めたものだったらしい。
入団3年目、金田が先輩から「生意気だ。お前のピッチングはメチャクチャだ。一人相撲を取るな」と言われたときは、「カネ、ひがむやつはひがませておけ。お前は大投手になる宿命にあるんだ。そんな言葉には耳をかすな」と励ましたこともあった。
2人目は国鉄の初代監督、西垣徳雄の美代子夫人。入団から3年ほど、金田は西垣家に下宿していた。3人目は享栄高時代の捕手・大野忠義。金田の快速球を捕り続けたことで、高校時代は常に左手がはれ上がり、いまも薬指が寒い日には紫に変色し、感覚がなくなるという。
首位巨人に15ゲーム差の
阪神には、得意のお家騒動(気味)の事件が勃発だ。
6月1日付で、
石川良照投手が任意引退となったが、これが
青田昇コーチによるパワハラ(当時この言葉はないが)だったという記事が「週刊現代」に出た。
肩が温まっていない状態でフリー打撃への登板を指示された石川が最初の2,3球緩い球を投げると、青田コーチから「そんな緩い球じゃダメだ。やる気がないならやめてしまえ」と言われ、カチンと来て、本当にやめてしまったという。
ただ、青田に直撃すると大笑いした後、こう答えた。
「俺は選手をやめろなんて言ってない。緩い球ばかりほうっていたから、やる気がないなら交代しろと言ったのだ。ただ、別に俺の言葉で石川がやめようが関係ないよ。そんなことくらいでやめるやつはいつまでたってもプロ野球選手として大成しない。ほかの世界に就職したほうがよっぽど幸せだ」
では、また月曜日に。
<次回に続く>
写真=BBM