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2018甲子園

“史上最高の試合”のエース同士が甲子園のマウンドで再会

 

レジェンドの魂が現役球児へ


1979年に春夏連覇遂げた箕島・石井毅さんが始球式を行った。この試合の球審を担当したのは39年前の夏、3回戦で対戦した星稜のエース・堅田さん(左端)だった


 山梨学院と高知商の先発メンバー発表の最後、審判員の紹介で「球審・堅田」がアナウンスされると、スタンドは一瞬どよめいた。

 熱心な高校野球ファンが反応したのも、当然だ。この日の第1試合の「レジェンド始球式」は1979年に春夏連覇を遂げた箕島で右アンダーハンドのエースを務めていた石井毅さん(現名・木村竹志)で球審の堅田(外司昭)さんは当時、星稜の左腕エースだったからだ。

 1979年夏の3回戦、箕島と星稜は大熱戦を展開。延長に入ってから2度(12、16回)勝ち越された箕島が追いつき、18回裏にサヨナラ勝ち(4対3)を収めた。今も「史上最高の試合」として語り継がれている。

 ネット裏には当時、星稜のマネジャー兼スコアラーを務めていた谷村誠一郎さん(石川県立ろう学校教頭)の姿があった。星稜・山下智茂名誉監督(当時監督)の左横で、石井氏の始球式を立ち上がって見守った。

「39年が経過して、まさか、この甲子園で実現するとは――。マウンドに石井君、そしてその横には球審の堅田。マウンドを降りる際にガッチリと握手していたのが良かったですねえ。感無量です。生きていて良かった」

 谷村さんは2015年7月に脳内出血を患っている。6カ月間に及ぶ入院中、面会へ訪れた山下監督から「元気になって、甲子園に行くぞ!!」と激励された。壮絶なリハビリを乗り越えることができたのも、恩師からの言葉が支えとしてあったからだ。

「この歳になっても、高校野球に助らえている。恩師、仲間……。昨日は星稜と(OBの)松井(秀喜)君の始球式。感謝の言葉しかありません」

 白球、甲子園を通じて育まれた強固な「絆」。谷村さんは年2回の会合がある昭和36年生まれの「36年会」のメンバーに始球式の件を発信すると、すぐにメッセージがたくさん届いた。始球式前夜には石井さんと食事し、旧交を深めた。一生の友である。

「投球フォームは当時の面影があった。良いボールでした。ホップしていましたよ(苦笑)。実は前日、山下名誉監督からも『絶対、下手投げで投げなさい!!』とゲキが入ったんです。腰痛の薬を服用して投げたそうです」

 さて、石井さんが投じ、堅田さんがジャッジした高知商と山梨学院の1回戦は14対12というシーソーゲームとなった。箕島と星稜のOBがかかわった試合が白熱した「名勝負」を展開するのも、決して偶然ではない気がする。「最後まであきらめない」。まさに、レジェンド魂が現役球児へと乗り移ったのである。

文=岡本朋祐 写真=早浪章弘
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