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栗山巧が高校入学直前に度肝を抜かれた打者とは?

 

2000年、夏の甲子園に出場した育英高時代の栗山巧


 以前、西武の栗山巧に高校時代の話を聞いたことがあるが、大島裕行(埼玉栄、のち西武)のバッティングに度肝を抜かれたことだった。

 中学時代、ヤングリーグの神戸ドラゴンズで硬式野球を経験していた栗山は育英高へ進学。プロ野球選手になることが夢で、しっかり練習できる環境が整っていること育英高を選んだ理由だが、入学前、埼玉栄が練習試合に訪れていた。

 前年の1998年夏の甲子園で2年生ながら沖縄水産高の新垣渚(のちダイエーほか)から逆転本塁打を放つなどホームランを量産し、注目されていたスラッガーだった大島。

「もちろんプロでもすごい先輩でしたけど、そのときもホームランを3本かっ飛ばしたんですよ。特に左中間ネットの上段に突き刺さる一撃はすごかった。あんなところに届くんや、と。飛距離から、スイングスピードから、パワーから、ホンマにハンパなかった。衝撃的過ぎて、それが僕の心にすごく残って、ちょうどいい刺激になりましたね」

 プロに行くためには大島さんのようにならないとアカン――。栗山はあらためて高校で野球に没頭することを誓った。

 練習が休みの元日も父・忠人さんを誘って、だれもいないグラウンドに入り込んで打撃マシンを打ちこんだ。

「勝手に忍び込んで(笑)。僕は家から近かったので、カギ当番だったんですよ。だから、カギのありかも知っていましたから」

 高校2年春夏には甲子園に出場。ともに開幕ゲームだった。

「特に夏はすごく暑いので。開会式でグラウンドに並んでいて、スパイクもすごく熱くなって。『こんな暑い中で試合をやるのか』と思った記憶があります。あとは夏、準決勝(対東海大浦安)で最後、僕の投手ゴロ併殺打で試合終了となってしまって……」

 3年生の夏を終わらせてしまったことが大きな悔いとなって残っているという。

「9回裏一死一塁で打席に入って。一塁ランナーの先輩が走ったときに僕が打ってしまった。それで、パンッ、パンッ、パンッですよ。ゲッツーになって……。準々決勝までは毎試合、打っていて(計8安打)、だけど準決勝は相手投手(浜名翔)にビシビシ投げられて無安打でした。今でも覚えていますわ」

 高校3年生、最後の夏は県大会5回戦で終わった。報徳学園と対戦したが、3点を先制した直後の4回二死満塁の守備でミスを犯した。

「僕がエラーして、一気に同点に追いつかれて。右中間への大飛球だったんですけど、グラブの土手に当てて落球。結局負けてしまって(7対8)、メッチャ落ち込みましたよね」

 ただ、悔いはなかったという。

「最後の夏、自分のエラーで負けましたが、そこで終わって良かったのかなと今は思いますし、僕の高校野球はそれで完成です」

文=小林光男 写真=BBM
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