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平成助っ人賛歌

巨人・バーフィールド 打撃不振も鉄砲肩が魅力だった超大物大リーガー/平成助っ人賛歌【プロ野球死亡遊戯】

 

コンプリート・ベースボールプレーヤー



 プロ野球vs.Jリーグ。

『週刊ベースボール』1993年7月5日号の表紙にはそんな見出しが躍っている。翌週の7月12日号では川上哲治vs.川淵三郎(Jリーグ初代チェアマン)の大物対談まで収録。それだけ当時の野球界にとって、93年5月に開幕したサッカーJリーグの躍進は驚異だったのである。

 ヴェルディ川崎のスーパースター・三浦知良は前年に巨人の原辰徳よりひと足早く年俸1億円の大台を突破し、サッカー少年のマサオがカレーを食べるとラモス瑠偉になるというなんだかよく分からない永谷園JリーグカレーのCMも人々の度肝を抜いた。ジーコ(鹿島)、リネカー(名古屋)、リトバルスキー(市原)といった世界的ビッグネームも続々と来日して話題を集めたわけだが、それに対抗するように12年ぶりに長嶋茂雄監督が復帰した巨人にもドラ1ルーキー・松井秀喜だけでなく、超大物大リーガーが入団している。メジャー通算241本塁打を放ったジェシー・バーフィールドである。

 トロント・ブルージェイズ在籍時の1986年に打率.289、40本塁打、108打点の好成績で本塁打王を獲得した男が、1年契約の年俸170万ドル(当時のレートで約2億2000万円)で巨人入り。86年の日米野球で来日選手最高の打率.450、4本塁打を残し、90年の同シリーズにはヤンキースのユニフォームを着て参加していた33歳の大砲が東京へやってくる。手術をした手首の状態が不安視されるも、長嶋監督は旧知のデトロイト・タイガースのスパーキー・アンダーソン監督に直接電話をかけて、「スパーキーも手首が大丈夫ならかなりやるぞ、と言っていました」と状態を確認した上で獲得にゴーサインを出したという。

「強肩で、盗塁も20個できる。守りでもアシスト(補殺)が多い。すべての人がコンプリート・ベースボールプレーヤーと評価してくれる。よく言わせてもらえば、そういうことだよ」

 93年宮崎春季キャンプに合流した際のバーフィールドの自信あふれるコメントだ。3月24日の西武とのオープン戦では相手エース・渡辺久信の高めのストレートを強振すると、打球は大きな弧を描いて左中間スタンドへ。渡辺は「確か日米野球でも完ぺきに打たれたんですよ。(横浜の)ブラッグスより上かって? うん、もう全然」なんて脱帽してみせる。背番号29は守りでもライト線の打球にスライディングキャッチを試み、ダイレクトで捕球したかに見えたが、審判はショートバウンドと判定。激しく抗議する執念を見せ、隣のセンターを守るブルージェイズ時代からの盟友ロイド・モスビーも思わず駆け寄りヒートアップ。長嶋監督も来日10打席目のアーチと果敢な守備に「想像以上に仕上がりが早い」とニコニコ顔で新たな主砲を歓迎した(ちなみに注目されたゴジラ松井はオープン戦打率.094、本塁打0に終わり開幕二軍スタート)。

“秘密のテープ”と“秘密のメモ”


日本に馴染もうと日々を過ごしていた


 始まりはとにかく順調だった。表紙に清原和博野茂英雄長嶋一茂古田敦也といった面々が並ぶ週刊ベースボール4月19日号『93開幕展望特大号』では、『ベールを脱いだ怪物バーフィールドの凄味』という特集記事が組まれている。マイナー・リーグ時代に同部屋で、あの阪急やオリックスで活躍したブーマー・ウェルズに連絡を取り、「まずはその国の文化を学ぶことから始めなくてはね。カルチャーギャップを克服することによって、結果もおのずからついてくる」と主に生活面のアドバイスをもらう。そして、日本に馴染もうとバーフィールドは「この味は向こうにはないね。アメリカに戻るときは必ずまとめて買い込んでいくよ」なんつって三ツ矢サイダーを毎日欠かさず飲むわけだ。

 広尾の自宅では毎日のようにセ・リーグ投手が編集された15本の“秘密のテープ”を見ながら、気付いたことを“秘密のノート”へメモをする。来日中のマーラ夫人も「私もジェシーのビデオ好きはよく知っていたつもりです。でも『あれ』を見ているときの彼の真剣な眼差しには本当にビックリしています」なんて思わせぶりに照れ笑い。そんな勤勉な大物助っ人は4月10日の横浜との開幕戦で、のちの“大魔神”佐々木主浩から公式戦初本塁打を放ってみせるのだ。

二塁へ素早くうなりを上げるダイレクト送球


その強肩にはお茶の間の目もクギづけとなった


 だが、開幕して1カ月経過すると、週べには『早くも梅雨入り!? G党を悩ませる原&バーフィールドの不快指数』という記事が掲載されている。15試合連続1ケタ安打で12球団ワーストのチーム打率.226(5月17日現在)の元凶として四番を打つ原、右足親指ねんざでベンチを外れているモスビー、開幕から75打数12安打の打率.160に33三振で左手首を痛め欠場中のバーフィールドを名指しで批判。結局、シーズンを通して「期待も吹き飛ばした大型扇風機」とマスコミの餌食になり続け、26本塁打、53打点はチームトップだったが、規定打席到達者中、リーグ最下位の打率.215、最多三振の127と1年限りで解雇となった。

 雑誌『週刊現代』ではリーグV2を達成したヤクルトジャック・ハウエルから、「ボクが打ててアイツら(バーフィールド、モスビー)が打てないのは監督の差だよ」なんて言われたい放題。しかし、前年は貴花田と宮沢りえの婚約にスポーツ新聞一面を持っていかれたヤクルトと西武の日本シリーズは、この年もサッカーW杯アジア最終予選の“ドーハの悲劇”に話題をさらわれてしまう。結果、翌94年から日本シリーズは人気回復の一環として平日ナイター開催に踏み切るわけだ。ちなみにオフにはヤクルトの野村克也監督がバーフィールドの獲得を希望するも実現することはなかった。そして、メジャー241発男をあっさり見切った長嶋巨人は、FAで新たな主砲・落合博満の獲得に動くのである。

 打撃では精彩を欠いた元本塁打王だが、大リーグ時代、三度の20回以上を含め、7年連続2ケタ補殺を記録した規格外の強肩は野球ファンの間で今でも語り草だ。東京ドームのフェンス直撃のクッションボールを素手でつかみ、二塁へ素早くうなりを上げるダイレクト送球で一塁に走者を釘付け。まだ野茂英雄の渡米前で海の向こうのメジャー・リーグにリアリティがなく、イチローになる前の鈴木一朗はオリックスの二軍暮らしのため“レーザービーム”も世に出る前。巨人戦の地上波テレビ中継から、ニッポンのお茶の間に外野手の送球をエンターテインメントとして認知させたきっかけのひとつは、この年のバーフィールドの鉄砲肩“バズーカ”だったのである。

文=プロ野球死亡遊戯(中溝康隆) 写真=BBM
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