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夏の甲子園 名勝負列伝

波紋を投げかけた「松井、5打席連続敬遠」/夏の甲子園 名勝負列伝

 

いよいよ100回目の夏の甲子園が始まった。『週刊ベースボール』では、オンライン用に戦後の夏の甲子園大会に限定し、歴代の名勝負を紹介していきたい。

高校生離れしたパワー


一度もバットを振ることなく敗者となった松井秀喜(左)


1992年8月16日
第74回大会=2回戦
明徳義塾(高知)3−2星稜(石川)

 ゴジラと呼ばれた怪物打者、星稜の松井秀喜(のち巨人ほか)の3年夏、最後の試合である。

 おそらくリアルタイムで見ていた人も、この試合を名勝負と呼ぶかどうかは意見が分かれるだろう。阪神戦ならともかく、高校野球の甲子園で、あれほどの怒号が飛び交い、そして物が投げ込まれたことは皆無だ。

 明徳義塾が、星稜の四番・松井を見事に封じ込め、勝利を飾った一戦であるが、その“手段”の是非で、大騒動となる。

 展開だけ言えば、2回裏、明徳義塾が2点を先制、続く3回には互いに1点を取り合い、5回に星稜が1点を取るも届かず、3対2で明徳義塾が逃げ切った試合だ。

 波紋を呼んだのは、明徳義塾が松井を5打席すべてで歩かせたことだ。松井は1年夏に甲子園デビュー。2年夏に1本塁打、3年春には1試合2本を含む3本塁打を放ち、その高校生離れしたパワーとにきびの残るゴツイ顏で、ゴジラの異名を取っていた。

 この大会で星稜は1回戦で長岡向陵(新潟)相手に11対0で大勝。松井は4打数1安打も、その1本はあっという間に右中間フェンスに到達する三塁打。2人の走者をかえし、2打点を挙げている。

 続く2回戦の相手となった明徳義塾の馬淵史郎監督は、「松井君は普通の高校生ではない。勝負しないことになると思います」と報道陣の前で星稜戦の敬遠策を明かしている。ただ、まさか全打席とは、その時点では誰も想像していなかった。

 1打席目は初回二死三塁、2打席目は3回一死二、三塁。この2つは、試合も競っていたし、ある意味、セオリーの範ちゅうに入れてもいいだろう。しかし明徳義塾が2点をリードした3打席目、5回一死一塁からの敬遠でスタンドがざわめき出し、星稜1点ビハインドの4打席目、7回二死無走者での四球時は、スタンドからヤジが飛び交い騒然とした空気に包まれた。さらに、9回二死三塁の5打席目では、ヤジではなく、怒号が沸き起こり、メガホンや空き缶、空き瓶が大量にグラウンドに投げ込まれ、試合が中断した。

 スタンドの興奮はゲームセットの後も収まらず、明徳義塾の校歌斉唱中にもスタンドからは「帰れ」コール。勝った明徳義塾ナインに笑顔はなく、みな目に涙を浮かべていた。「潔く勝負したかった。ただ、大きくリードしていれば別ですが、勝つにはこれしかなかった。私がすべて指示しました」と試合後まるで犯罪を起こした後のように語った馬淵監督。グラウンドを出ても騒ぎは収まらず、明徳義塾の宿舎となった旅館には嫌がらせ電話が相次ぎ、ついには番号を変えざるを得なかったという。

沸き起こった怒号


試合中にもかかわらず、スタンドからメガホンなどが投げ込まれた


「野球はルールに則るスポーツ、敬遠四球は、それに反するものではない」

「高校野球はそこまでして勝負にこだわるべきではない」

 以後しばらく、賛否両論、というより、明徳義塾を批判する、さまざまな声が上がり続けたことからも、この一戦の衝撃度の高さが分かる。

 試合後、「覚えていません」「分かりません」と言葉少なだった松井は、その後、「あれで有名になったようなものだからいいんじゃないですか。打席で怒らなくてよかった」と笑顔で話し、「松井だったら高校時代に5回も敬遠されても仕方なかったとファンに言われる選手になりたいと思って頑張ってきました」と明かしている。

写真=BBM
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