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夏の甲子園 名勝負列伝

早実×駒大苫小牧、決勝再試合の死闘/夏の甲子園 名勝負列伝

 

いよいよ100回目の夏の甲子園が始まった。『週刊ベースボール』では、オンライン用に戦後の夏の甲子園大会に限定し、歴代の名勝負を紹介していきたい。

甲子園での大フィーバー


決勝再試合の最後は投手・斎藤と打者・田中。空振り三振で早実が優勝を決めた


2006年8月20日
第88回大会=決勝
駒大苫小牧(南北海道)1−1早実(西東京)
※延長15回

2006年8月21日
第88回大会=決勝再試合
早実(西東京)4−3駒大苫小牧(南北海道)

 2006年夏の決勝戦、早実−駒大苫小牧は死闘となった。

 夏3連覇へ向け、順調に勝ち上がっていた駒大苫小牧。その絶対的エースは、2年のセンバツから3大会連続で甲子園のマウンドに立ち、うなりを上げる剛速球と魔球スライダーで“怪物”と呼ばれた田中将大(現ヤンキース)だった。

 ただ、甲子園入り後、ウイルス性腸炎で体調を崩した田中は、甲子園での先発完投は2回戦、準々決勝のみと苦しむ。

 迎えた早実(西東京)との決勝も、先発は田中ではなく、菊池翔太だった。しかし、0対0で迎えた3回裏一死一、二塁の場面で早くもマウンドへ上がると、たちまちピンチの芽を摘み、力を振り絞るようにギアを上げていく。

 対して早実のエースは斎藤佑樹(現日本ハム)。甘いマスクとマウンドで顔の汗を青いハンカチでぬぐう仕草から「ハンカチ王子」と言われ、甲子園に大フィーバー。斎藤自身、「いくらなんでも騒ぎ過ぎだろうと思っていた」とのちに明かすほどの熱気だった。

 この日も、試合開始1時間前から満員札止め。大半が早実へ声援を送った。駒大苫小牧・香田誉士史監督は「甲子園で初めてアウェーを感じました」と振り返り、斎藤は、この日の田中のストレートを見て「これなら打てる」と思い、狙いを定めていたという。05年に対戦した神宮大会準決勝より、明らかに球威がなかったこともあるし(早実が3対5で敗退)、タテのスライダーのキレ味があまりに鋭く、絶対に打てないと思ったからでもある。

 斎藤、田中の力投で互いにゼロ行進となったが、8回表、まず駒大苫小牧が三木悠也のバックスリーンへの一発で先制も、その裏、早実もすぐ1点を返す。その後、2人はさらに力を込めての熱投。結局、延長15回で決着がつかず、37年ぶりの決勝引き分け再試合となった。

 早実にとっての最大のピンチは延長11回だった。駒大苫小牧は一死満塁のチャンスをつかみ、スクイズを敢行するが、三走がスタートを切ったのを見て、斎藤はわざとワンバウンドを投げ、その球を体で受け止めた捕手・白川英聖が走者を封殺した。

ピンチでギアを上げる投球


最後まで見事に1人で投げ抜いた斎藤


 翌日の再試合、早実は前日を1人で投げ切った斎藤が先発マウンドに立つが、駒大苫小牧は再び菊池。前夜、香田監督が「お前を先発で考えている」と田中に伝えた際、「リリーフなら初回からでも行きます」と答えたという。

 実際、菊池が崩れた1回途中、6人目の打者から田中はマウンドに上がったが、心身の疲労はピークに達していた。2回裏に1点、さらに6回に味方打線が1点を返すも、その裏、さらに7回裏にも1点ずつ失い、3対1とリードを許す。駒大苫小牧は9回表、先頭打者のヒットの後、2ランで1点差に迫るが、二死後、打席に入った田中が斎藤が投じた渾身の118球目、144キロのストレートを空振り三振。それでも「最後は見逃しじゃなく、フルスイングできたのでよかった」と歓喜の涙を流す斎藤とは対照的に、北の剛腕は気持ちのいい笑顔を見せながら、打席から去っていった。

 香田監督は、「斎藤君はすごかった。それまで抜いていても走者が二、三塁になると147、148キロが来る。こちらが狙い球を決めても、それと違うボールが来る。1つ上を行かれていたんですよ」と斎藤のクレバーなピッチングに舌を巻いたが、最後の1球は、技ではなかった。

「ほとんど力も残っていないはずなのに、最後の力を引き出せた。やっぱりそれを引き出してくれたのが彼(田中)だったのかな」(斎藤)

 大会全7試合、948球を1人で投げ抜き、78奪三振。早実とハンカチ王子のドラマは、最高のフィナーレを迎えた。

写真=BBM
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