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プロ野球1980年代の名選手

谷沢健一【前編】奇妙な“日本酒マッサージ”で復活を遂げた男/プロ野球1980年代の名選手

 

1980年代。巨人戦テレビ中継が歴代最高を叩き出し、ライバルの阪神はフィーバーに沸き、一方のパ・リーグも西武を中心に新たな時代へと突入しつつあった。時代も昭和から平成へ。激動の時代でもあったが、底抜けに明るい時代でもあった。そんな華やかな10年間に活躍した名選手たちを振り返っていく。

原因不明のアキレス腱痛



 1980年、谷沢健一は奇跡の復活を遂げた。1年目の70年からレギュラーとなって新人王、76年には張本勲(巨人)と争って6糸差で首位打者に輝いたヒットメーカーだったが、「アキレス腱の付け根に軟骨ができていて、疲れると痛んだんですよ。大学時代は米粒ぐらいの大きさで、なんでできたのかは分からない。それが首位打者の翌年、どうしようもないぐらいに痛くなった」。

 洋の東西を問わず、診察を受けた病院は20カ所を超えるというが、「西洋医学のドクターは、いまの外科では難しいかな、ということでした」。

 77年は全試合に出場したが、70試合の出場にとどまった翌78年、ヤクルトが優勝を決めた試合で、代打で二ゴロ併殺。

「走ったときにパチンと音がして骨が欠けて、アキレス腱の一部が切れた。まったく足首が動かなくなったんです」

 オフの契約更改では年俸35パーセント減。

「25パーセント以上は野球協約でダメなんですが、本人が了解すれば、その限りではない。ひどい協約ですよね」

 翌79年のキャンプには参加したが何もできず、1週間で帰ってきた。家族には名古屋を引き払うという話もした。もちろん、引退するからだ。まさに、どん底だった。

 ところが、開幕前。ファンから電話で奇妙な治療を勧められる。あきらめかけていたため断った。だが、何度も電話がかかってくる。ついに折れた。お前さん(ファン)の顔を立てるために行ってみましょうとなり、「鉄工所の離れにいた、おじいちゃん」と出会う。これが奇跡の始まりだった。のちに治療を球団の総務が見に来たことがあり、うさん臭そうな顔をしたというが、このときは同じ感想だった。当たり前だ。

「おじいちゃんが黙々と足をマッサージするんです。水みたいのをかけてね。時間が経つにつれ、プンプンにおってくる。日本酒なんだね、これが(笑)」

 こんなんで治るか、と思ったという。ほとんどの人が、そう思うだろう。それが常識的な人間というものだ。ところが、夏でも靴下を履くぐらい冷えるほうだったのが、3日ほど続けた朝、起きたときに足がポカポカしていた。自分に合っているかもしれないと思い、また治療してもらおうと行ってみると、老人は福岡に帰った後だった。

 福岡の家まで押しかけた。10日ほど滞在して“治療”を続けた。「たくさん注射とかしてるから、5カ月ぐらいは我慢しろ。夏になれば走れるようになるから」と言われながら。世にも奇妙な世界に迷い込んでいるようにも見える。おそらく、そんな不安もあったことだろう。だが……。

「もう、おじいちゃんに懸けるしかなかった」

元スパイの治療法&特注スパイク


 老人の“予言”は的中した。夏場に入ると少しずつ走れるようになり、8月にはファームの合宿にも参加。9月には一軍に合流した。

「あとで知ったんだけど、おじいちゃん、小山田秀雄さんというんですが、実は日本軍のスパイだった人で、戦争中は日本国籍を抹消され、中国の戦線に行っていた。そこで軍医から自分の体を自分で治す方法を教えてもらったらしい」

 日本酒を使ったセルフケアも話題になった。

「当時でいう2級酒のほうがいい。1級や特級だとベタベタするんです」

 元スパイ秘伝の治療法だけでなく、くるぶしまで固定する特注スパイクも味方だった。巨人の長嶋茂雄監督からは「おい、長靴を履いてきたのか」と言われたと笑うが、「これがなかったら不安で走れなかったでしょうね」。

 そして迎えた80年、完全復活。いや、さらなる飛躍を遂げた。

 リハビリに費やした時間は、打撃について深く考えることができた時間でもあった。習志野高で圧縮バットの製造で知られる石井順一から学んだ打撃理論を高め、自分でも治療を続けながら、ひたすら打ちまくった。

写真=BBM

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週刊ベースボール編集部

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