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早実・野村大樹がプロ志望届を提出した背景は?

 

10回近い家族会議を経て


早実・野村は9月10日にプロ志望届を提出。12日に取材に対応し、「プロ」への思いを語っている


 まさかの「決断」である。9月10日、早実・野村大樹内野手がプロ志望届を提出した。昨年、1学年先輩の清宮幸太郎はドラフト1位入札で高校生最多タイ7球団が競合した末、日本ハムが交渉権を獲得した。早実は早大の系属校で大学進学が「既定路線」としてある。主な高校生で史上最多111本塁打を放ち、高校日本代表の四番(主将)を務めた清宮は、ある意味で「突き抜けた感」があり、プロ志望も理解できた。

 清宮は早実初等部、中等部と内部進学で歩んできたのに対して、野村は関西出身。同志社中(京都)から早実を志望した。教育熱心な家庭に育ち、学業を重んじてきた環境だった。同志社中から大学までの「エスカレーター」がほぼ約束されていた。しかし、野村には「甲子園」という強いこだわりがあった。甲子園を狙える野球継続と、大学までを見据えた学力向上を追求するために、早実に進学した背景がある。この3年間、母と東京都内で生活し、父は単身で地元に残った。両親に支えてもらっている野村は「結果を残さないと、会わす顔がない」と語ったこともある。

 2年春のセンバツに三塁手として甲子園出場。同夏から3年春までは捕手で、今夏はより打撃に集中するため、三塁に戻った。2年秋からは主将としてけん引したが、今夏は西東京大会4回戦敗退で、高校野球生活を終えている。高校通算68本塁打はプロも注目する右のスラッガーだったが、さまざまな事情からも、来春からは、早大・小宮山悟新監督の下でプレーするものだと思っていた。

 なぜ、プロ志望したのか、9月12日に野村は取材に応じている。

「野球に集中できる環境がプロにあると思い、プロを志望しました。だいぶ、悩みました」

 夏休み期間中、週末を利用して父も上京し、3人で1カ月にわたって話し合った。10回近い家族会議を経て、9月3日に結論を出したという。8日に國定貴之野球部長に同書類を渡し、10日に提出。ちょうど野村の18歳の誕生日だが「ちょっと、狙っていました」と、人生の岐路となる覚悟の表れでもあった。

「メリット、デメリットもある中で、話し合いを続けてきました。(早実に)入学したときは大学を目指して、神宮で野球をやりたいと思っていましたが、最終的な目標はプロへ行って活躍すること。1個省くではないですが、そちらの夢を追いかけたくなった」

清宮から「よく決めたな」のメッセージ


 プロを目指すきっかけとなったのは1年秋の明治神宮野球大会。「1個上の先輩からしっかり(打率)5割以上、本塁打も打って『できるかもしれない』」と考えたという。ただ「その試合で打つことだけが目標」と目の前の一戦だけに集中し、進路については3年夏が終わって以降、具体的に考えたという。だからこそ約1カ月、熟考する時間が必要だった。

 先輩・清宮の存在がプロを選択する上で影響力を持ったのか? 野村は「メチャクチャあったわけではありませんが、少なからず影響はあった」と答えている。提出前にはLINEで報告すると「よく決めたな」とメッセージが届いたという。この点について早実・和泉実監督は補足している。

「一緒に2年間、(清宮に)ついて回りましたので、感じるものは大きいでしょう。清宮もそうでしたが、野村も入学したときは早稲田(大学進学)だったんでしょうが、1年夏からウチの四番で、彼の打撃で甲子園にも行けたし、いろいろと経験する中で上の世界でやりたい思いが出てきたのでしょう。詳しく、踏み込んだ話はしていませんが、そういう気持ちは大切にしてあげたい。決めたことは尊重しますし、応援したいと思います」

 好きな選手は早実の大先輩・王貞治氏。ただ、本塁打には強いこだわりはなく「右、左に長打を打てるのが持ち味」と語り「やるからには、日本で一番のバッターになりたい」と目を輝かせる。ポジションについても「基本、内野全般はできる。与えられたポジションをまっとうする」と話した。

 野村もドラフト指名、プロ入りとなれば、2年連続で“逸材”を逃す形になる早大としては、痛手となるだろう。しかし、個人の強い意志、夢を阻むことはできない。ドラフトは10月25日に行われる。

文=岡本朋祐 写真=井出秀人
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