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伝説の夏、監督からの叱責に発奮した後藤武敏

 

DeNAでは「ゴメス」の愛称で親しまれてきたG後藤だが、横浜高、法大を通じてのニックネームは「ごっちゃん」だった


 めったに喜怒哀楽を見せない男がこのときばかりは、表情を崩した。9月22日、DeNAのG後藤武敏の引退セレモニー。慣れ親しんだ横浜スタジアムで、相手は中日。今年からスカウトになった中日・小山良男が三塁ベンチから、リリーフカーで場内一周するかつての同僚の花道を見守った。すぐ横には横浜高でバッテリーを組んだ松坂大輔がいた。いつも丁寧な対応で、冷静な元捕手も、20年前をオーバーラップ。「ごっちゃん」(高校時代のニックネーム)を労いたい思いが、小山の顔から伝わってきた。花束を渡した小池正晃(DeNAファーム外野守備走塁コーチ)含めて、そこには高校3年間、同じ釜の飯を食べた仲間にしか分からない特別な空気が流れていた。

 教え子の現役最後の雄姿を目に焼き付けた恩師・渡辺元智氏(横浜高前監督)にとっても、あの夏の記憶がよみがえってきたに違いない。

「お前とは縁を切る! オレの前から消えろ!」

「伝説の名勝負」として語り継がれる1998年夏、横浜高とPL学園高による甲子園準々決勝。延長17回に及ぶ熱戦を横浜高が制し、エース・松坂が250球を投じた激闘だ。緊迫した好試合の中で、後藤は攻守ともに精彩を欠いた。ミスの連発で延長16回、指揮官の堪忍袋の緒が切れた。後藤の打席で、すでにベンチに下がっていた選手を呼び出すなど、渡辺監督も興奮していた。その理由をこう明かす。

「あの夏、『チームワーク』と私自身は『冷静』をテーマにしてきました。松坂一人のチームではない。その大前提がありながらも、こうした感情が芽生えたのは、初めて。松坂という選手は打席でも全力プレー。打てば、凡打であっても必ず、二塁まで全力疾走する。延長に入ってからはヒザに手を置いて、荒い息づかいがこちらにも伝わってきた。その背中からは『早く決着がつかないかな……』という心の声が聞こえてくる。どの選手よりも、チームのことを考えていた。そんな姿もあって、後藤へゲキを飛ばすことになった。監督という仕事は、人が人を動かすわけですから、そこに、愛情がないと伝わらない。真剣に向き合わないといけない。そこで、人が人に伝えるための手段が言葉なんです」

 後藤のプレーにキレがなかった理由は体調にあった。試合後に発覚するが、腰の疲労骨折により、動ける状態でなった。渡辺監督から指導を受けた後藤は、三塁ベンチで涙を流した。罵倒されている姿を当然、他のメンバーも見ていた。孤軍奮闘のエース・松坂に、故障を押してプレーを続ける後藤のため、チーム一丸となって勝利を引き寄せたのであった(7対7の17回表に常盤良太が決勝2ラン本塁打)。

 後藤はどんな言葉を浴びようと、ドクターストップで激しい痛みが残る腰でも、引き下がらなかった。「野球人生が終わっても良いです」と、明徳義塾高との準決勝での先発を直訴。この試合で後藤は汚名返上の大活躍。終盤6点ビハインドを逆転する立役者となったのである。

 高校野球の集大成、まして甲子園の大一番で「縁を切る」とまで言われながら、翌日には殊勲者の一人となった精神力の強さは、尋常でない。「怒られているうちが花」と言われる。後藤は渡辺監督からの叱咤を「期待」「愛情」と受け止めることができた。常日頃からのコミュニケーション、指導者との絆が奇跡の逆転サヨナラ、そして史上5校目の春夏連覇の背景にあったのだ。どんなときも失わない明るさこそ「ごっちゃん」が、仲間からも親しまれる理由でもあった。

 渡辺氏は言う。

「後藤は責任感が強く、生真面目な性格。ベイスターズの球団関係者からも『あれだけバットを振っているのは、後藤しかいない。練習し過ぎです』という話を聞きたことがあります。プロ入り後も変わらない真摯な姿勢が、あの夏のプレーにも出たのかなと思います」

 2012年のDeNA移籍後は「ゴメス」の愛称で親しまれた後藤。16年間の現役生活を終え、惜しまれつつユニフォームを脱ぐが、渡辺監督、仲間との深い絆はこれからも続いていく。

文=岡本朋祐 写真=BBM
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