週刊ベースボールONLINE

川口和久WEBコラム

俺を勝てる投手に変えてくれた江夏豊さんの言葉/川口和久WEBコラム

 

独特のフォームから相手打者の心を読み切ったようなピッチングをした


 中日岩瀬仁紀が引退を発表した。

 現時点で通算1001登板という、とんでもない記録を持つリリーフのスペシャリスト。現役20年だから1年平均50試合か。まさに鉄腕だね。
 2004年から抑えに回って、通算セーブ407もダントツだ。

 左の抑えというのは球界には意外と少なくて、通算100セーブ以上で見ると現役では岩瀬と楽天松井裕樹がいるけど、全体では31人中5人だけ。

 もともと左投げの絶対数自体が少ないのもあるけど、1つの要因は対右打者にある。右も左も抑えないと、抑えは務まらないからね。
 岩瀬もあのスライダーを武器にし、まったく右打者を苦にしなかった。

 抑えのパイオニアというと、8時半の男、巨人宮田征典さんになるのかもしれないが、「先発になれなかった投手がリリーフ」という、球界に長くあった常識を変え、抑え投手のステータスをつくり上げたのは、左腕の江夏豊さんだった。

 阪神時代は、先発で1シーズン401奪三振というとんでもない記録をつくった大エースだけど、南海移籍後の77年に抑えになり、79、80年と広島連覇の原動力となった。
 通算206勝193セーブは、ちょっと信じられない数字だね。

 特に79年、近鉄との日本シリーズ第7戦9回裏、無死満塁から無失点に抑えた快投は「江夏の21球」とも言われている。

 俺は80年秋のドラフトで指名されての広島入りだから、80年限りで日本ハムに移籍した江夏さんとは入れ違い。あの試合は映像で見ただけだけど、しびれたね。まるで芸術品みたいなピッチングだった。

 球速自体はさほどでもなかったけど、コントロールが絶妙。特に右打者の内角へのボール1個の出し入れがすごかった。
 ストレート、そしてストレートと同じ軌道から食い込みながら落ちるカーブもあった。まさに右打者を打ち取るための左投手の教科書みたいなピッチングだった。

 俺は同じ左腕として江夏さんにあこがれた。カッコいいなって。

 カープに入ってからもいろいろ江夏さん伝説を聞いた。同じく抑えで活躍した、オレの師匠・大野豊さんをはじめ、たった3年間だけど、ほかの投手に大きな影響を与え、カープの投手黄金時代の礎を作った人だった。

 実は、俺もそうなんだ。
 あれは15勝した翌年の84年だったと思う。

 前の年と同じようにやっているつもりなのになかなか勝てず、悩んでいた時期だ。
 たまたま広島市民球場の近くにあった喫茶店に入ったら。金田正一さんと江夏さんがいた。
 もちろん、若造の俺はダッシュで、あいさつさ。

 そしたら金田さんが開口一番、
「川口、長そで着ろ!」
 Tシャツだったんだ。金田さんは、投手は体を冷やしてはいけないという考えだったからね。

 江夏さんは以前から何度か話したことがあったんで、そのとき思い切って聞いてみたんだ。
「なかなか勝てないんですが、どうしたらいいんでしょうか」って。

 そしたら、
「130キロの球でいいから右バッターのアウトコース低めに投げろ」と言った。

 バッターはカウントが打者有利のときはアウトローなんて難しい球には手を出さない。だから「140キロもいらない。130キロでいいから正確にそこに投げ込むよう一生懸命練習しろ」と。

 前年、15勝したときの俺は、攻めまくった。右打者なら内角にクロスファイアをガンガン投げ込み、それで打ち取っていた。

 でも、84年はそこを打者に見られ、カウントが悪くなってストライクを取りに甘く入ったところでカンといかれるケースが増えていた。

 当時は悔しいから、もっと速い球を投げようとか、もっと強気に内角を攻めなきゃと思っていたから、アウトローの制球力を磨け、というのは目からウロコだった。

 ただ、簡単じゃない。インコースというのは、一連の流れで思い切って投げられるけど、アウトコースは一度、体を止めなきゃいけない。

 シーズン中は無理だなと思っていたら、古葉竹識監督が「アウトコースを磨いてこい」と俺を二軍に落とした。江夏さんが言ってくれたのかもしれないね。
「川口はアウトコースを投げ切れたら、もっと勝てる」って。

 実際、そこから必死に練習し、一軍に戻っても8勝までいった。

 古葉さんは江夏さんを信頼していたけど、トレードに出したのも古葉さんだった。
 先輩たちとも「なんで出したんだろう」という話をしたときはある。だって80年は53試合に投げ、9勝6敗21セーブだよ。

 いろいろな話を聞いて、そうかなと思ったのが、「考え方の違い」だ。

 江夏さんは一匹狼で練習しない人だったらしい。試合が終わったらすぐ雀荘に向かい、全体練習のときも昼寝をしていた。心臓に病気を抱えていたこともあって、できるだけ体力を温存しながらやろうと思ったんだろうね。
 古葉さんは、自分のチームにとって、江夏さんが邪魔になると思ったんじゃないかな。

 俺が入ってからがまさにそうだったけど、古葉カープは、練習がすべての野球だった。古葉さんはベテランであっても例外をつくらず、それを貫いていた。

 もしかしたら、江夏さんを出したことでカープは、翌年優勝できなかったかもしれないけど、その分、いまに続く強固な伝統が出来上がったようにも思う。

 自分の力を最大限に発揮するため、周りにどう見られようがマイペースを貫いた江夏さんと、自分の信じるチームづくりを貫いた古葉さん。

 どちらも本物のプロだったんだね。
週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部が今注目の選手、出来事をお届け

関連情報

みんなのコメント

  • 新着順
  • いいね順

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング