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週刊ベースボール60周年記念企画

阪神バッキー9連勝/週べ1964年6月1日号

 

 今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

村山と土井垣の確執


表紙は2枚とも巨人長嶋茂雄


 今回は『1964年6月1日号』。定価は50円だ。
 
 5月、大洋、巨人とともにセの3強を形成していた阪神。その原動力が9連勝中の長身右腕・バッキーだ。この号では野球評論家・佐々木信也の対談連載にも登場している。

 バッキーは62年8月にビル西田の紹介で阪神のテストを受け、入団。同年は0勝、翌63年は8勝5敗と正直パッとしなかった。
 最大の欠点は制球難だった。
 当初は上体の力に頼り過ぎ、投げた後、体が回転してしまうようなフォームだったが、往年の中日の大投手で、当時は阪神の投手コーチだった杉下茂が我慢強く指導。下半身主導のフォームに変えさせ、安定した。

 もう一つは専属通訳の存在だ。それまでは同僚のソロムコ(東京に移籍)が通訳代わりをしていたらしいが、この年から元阪急の日系人・山田伝が専属の通訳になった。
 これで藤本定義監督とのコミュニケーションもスムーズになったと喜ぶ。
「7対1くらいで勝っているでしょ。そうなるとピッチャーは自然に気が緩んでくるんですね。そうするとマネジャーがそれを見抜いて、まだ勝っていないんだ、ゲームは9回まであるんだから最後まで気を引締めて頑張ってくれと言ってくれます」(バッキー)

 ちなみにバッキーが大の苦手だったのは、天秤棒打法の大洋・近藤和彦
「どんな球を投げてもダメ。まあ、プレートの下にもぐる球でも投げれば、アウトにできるかもしれないけど(笑)」
 この年の対戦成績は、40打数10安打、打率.250だが、対大洋の防御率が、ほかが1点台に対し、2.55。メガトン打線そのものを苦手にしていたのが確かだ。

バッキーの投法はスネーク投法とも言われた


 阪神では村山実土井垣武コーチの“ケンカ”が新聞各紙を賑わせていた。
 ややこしいので少し長くなる。

 きっかけは5月12日の中日戦(中日)だ。阪神は4対3とリードした7回に、逃げ切りのためエースの村山を投入。しかし同点にされ、さらに一死三塁となったところで土井垣コーチがマウンドに来て次打者マーシャルの敬遠を指示した。
 当時、藤本監督は持病のリューマチの悪化で欠場。土井垣コーチが代理監督として指揮を執っていた。

 これで村山の顔色が変わる。指示どおりマーシャルを歩かせた後、後続を断ったが、ベンチに戻った際、出迎えた土井垣コーチから顔をそむけ、目も合わせない。
 試合は同点のまま進み、延長10回裏だった。村山は二死一、二塁とされ、またも打席にはマーシャル。このときも土井垣はマウンドに自ら足を運び、村山に何やら声をかけた。
 満塁策とも思ったが、村山は勝負。マーシャルにサヨナラ3ランを食らい、チームは負けた。

 村山は怒りの形相でベンチ裏に戻り、ロッカールームで物を投げたり蹴ったりと大暴れだったという。
 
 さらに翌日、以下のような土井垣談話を新聞で見て、村山は完全に切れた。
「10回、私はマーシャルとはまともな勝負は避けろと言った。くさいところに投げて条件が悪くなったら歩かせろと言ったんだ。村山はワシのいうとおりにほうらんかった」
 村山はすぐさま藤本監督のところに行き(球場には来ていたらしい)、
「こんなことを書かれては、俺がベンチの指示にそむいて打たれて負けたようにファンに見られてしまいます」と抗議した。

 その後、村山は藤本監督に言われ、土井垣と話し合いをする。ただ、その場に新聞記者を連れて行き、立ち合わせたというから穏やかじゃない。
「僕は敬遠の指示を受けていなかった。あのときは、マーシャルは当たっているからくさいところをいけ、と言われただけじゃないか」(村山)
「くさいところをついていけ、カウントが悪くなったら歩かせろと言っただろ」(土井垣)
「それは敬遠の指示ではない。もっとはっきり示してくれ」(村山)
 子どものケンカのようになってしまった。

 この騒動の後、記者たちに囲まれた藤本監督は、最初、「2人が話し合ったんだから、それでいいじゃないか」といつものようにのらりくらりと答えていたが、新聞記者のしつこさに最後はぶち切れ、
「君たちはそんなに阪神のことを悪く書きたいのかね、そんなに書きたいやつは俺が旅費をやるからとっとと大阪に帰れ!」と怒鳴った。

 一方、村山の怒りもまったく収まっておらず、
「土井垣さんは逃げの手をつかった。敗戦の責任を全部僕になすりつけたんです。あんなときこそ
選手の沈んだ気持ちを和らげるような言葉を使ってほしい」
 さらに大阪に戻ったらオーナーや球団代表とも話し合いたいと言っていた。

 まさにプライドの塊である。よくも悪くも、この執念が大投手村山のベースになったのだろう。

 ちなみに開幕から打ちまくっていた阪急スペンサーだが、5月に入り打率急降下。19日には.249となっていた。
 ただ、本人が語る、その理由がすごい。
「打率が低いのは審判が悪いからだ。日本の審判はなっちゃいない」

 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM

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