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プロ表明の吉田輝星の意思を尊重も「4年先でも遅くなかった」と語る嶋崎元監督

 

ピタッと合う指導者との巡り合い


金足農高を34年率いた嶋崎元監督は吉田の「プロ志望」について、個人的見解を述べた


 金足農高・吉田輝星のプロ志望表明会見(10月10日)を、まるで“わが子”のように見守る元指揮官がいた。同校を34年率い、春3回、夏4回の甲子園出場へ導き、「雑草軍団」を全国区にした名将・嶋崎久美氏である。

「(会見では)力強い言葉を聞けた。大輪の花を咲かせて、プロでもフィーバーを巻き起こしてほしい」と、今後の活躍を期待した。

 社会現象にもなった「金農フィーバー」は、甲子園で881球を投げて準優勝へ導いた吉田の快投が原動力だった。甲子園前後で、吉田を取り巻く環境は激変。秋田大会前の6月には大学進学で固めていたとされるが、結果的には進路も大きく方向転換することとなった。

「私が紹介していなければ、今日のこの場(記者会見)もなかった。県大会で負けていたでしょう。あれほど、秋田が盛り上がることも、(甲子園準優勝も)あり得なかった」

 嶋崎氏は2012年3月限りで金足農高監督を勇退後、同4月から16年秋までノースアジア大を率いた。同じ北東北大学リーグでライバル関係にあった八戸学院大・正村公弘監督とは、かねてから親交があった。

「送別会を開いてくれたんですが、正村監督は当日、来られなかった。あらためてということで、秋田で一席を設けてくれたんです。そこで、吉田の話をしたところ、指導していただける、という話になったんです」

 金足農高・中泉一豊監督も嶋崎氏の教え子であり、元監督は協力を惜しまなかった。伸び悩んでいた吉田に起爆剤を与えようと、正村監督に指導を依頼。ストレートを生かすための変化球の精度、特にスライダーの握りについてアドバイスを求めたという。

「吉田はのみ込みが早く、正村監督の指導がピタッと合った。こうしためぐり合わせ、出会いというのは、なかなかありません」

 正村監督は今春、リーグ戦優勝争いの最中でも青森から秋田へ飛んで、吉田への指導を継続。NPBスカウトも仰天する、昨秋以降の成長カーブは、投手育成に定評のある正村監督の助言なくしてあり得なかったわけだ。だからこそ、中泉監督も「恩というか、人間的にも信頼できる人と感じたので、ぜひお世話になりたい」と、八戸学院大への進学を勧めた。吉田本人も会見で「そのときは大学へ行きたいと思いました」と事実上、方向性は決まっていた。

 ところが、甲子園での活躍、U-18アジア選手権(宮崎)での経験、そして集大成となった福井国体では自己最速の152キロを計測。大学進学に傾いていた吉田の心境に迷いが生じ、最終的に「幼いころからの夢だったプロ」が上回ったのだ。

プロで大成するには練習しかない


 福井国体後、進路絞り込みの段階で、嶋崎氏には「相談はなかった」と明かす。金足農高の教え子でもある吉田の父・正樹さんから電話で「会見の2、3日前」に最終報告を受けた。嶋崎氏は「個人的な意見」と前置きした上で、吉田の決断について見解を述べる。

「4年先でも遅くなかったような気がします。そのまま八戸学院大へ行って、波長が合う正村監督の指導を受ければ間違いなくドラフト1位、即戦力の投手になっていたと思います。かつての(振り子打法の)イチローもそうでしたが、いかに合うか、合わないか。吉田もプロで良い指導者に出会ってほしいと思う」

 嶋崎氏は練習試合、公式戦と「吉田の成長をすべて見てきた」と語るかわいい“教え子”だけに、プロを選択した以上は本人の意思を尊重。今後もバックアップする姿勢は不変だ。

「私は8人ほどプロへ卒業生を送り出していますが、成功した人、失敗した人を見てきている。電話ではお父さんには話しましたが、小野(和幸、西武ほか)、石山(泰稚、ヤクルト)の成功例など、本人にもその辺の話をしていきたい。プロでどうやって生きていくか? 練習しかありません。夢に向かって、大成してほしいです」

 家族、学校関係者を含めた進路面談で、プロ志望を固めたのは、福井国体から秋田へ帰った翌10月4日。翌5日には、中泉監督が八戸学院大・正村監督の下へと出向いている。

「大学でお世話になるにしろ、ならないにしろ、(国体後に)大学にはあいさつしに行こうと思っていましたが、タイミングが悪かった。もうちょっと、早く言えていれば良かったが……。秋田大会が終わった段階では言えないですし、そういう気持ちでもなかった。大学には申し訳なかったが、(私たちの意向を)受け止めてくれた。最後は理事長さんからも激励の言葉があった。ありがたいです」

 中泉監督も、正村監督の指導に感謝しているのは事実であり、最後の最後まで進学を勧めたのも真実だ。人と人とのつながりを大事にしたい学校サイドの気持ちも理解できるが、「本人の強い意志」(中泉監督)まで、曲げることはできない。17歳の決断に、あとは周囲が後押しするのみ。プロで成功することが、吉田が言う地元の応援、お世話になった人への「恩返し」になるのである。

文=岡本朋祐 写真=BBM
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