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ドラフト会議物語

【ドラフト会議物語19】西武が巧みな戦略で伊東勤と工藤公康を両獲り【1981年】

 

今年は10月25日に行われるドラフト会議。毎年、金の卵たちが、どの球団へ進むか大きな注目を集める“一大イベント”で、さまざまなドラマも生まれる。今年で54年目を迎えるドラフト会議の歴史を週刊ベースボールONLINEでは振り返っていく。

「根本さんに父親が口説かれて……」


甲子園を沸かせた左腕・工藤。プロ入りを表明していれば1位で競合していたはずだ


1981年11月25日
第17回ドラフト会議(ホテル・グランドパレス)

[1位選手]
近鉄   金村義明 (報徳学園高)
大洋   右田一彦 (電電九州)
南海   金城信夫 (兵庫・市川高)
中日   尾上旭  (中大)
西武   伊東勤  (所沢高)
ヤクルト 宮本賢治 (亜大)
ロッテ  井辺康二 (東海大)
阪神   源五郎丸洋(日田林工高)
阪急   山沖之彦 (専大)
広島   津田恒美 (協和発酵)
日本ハム 田中幸雄 (電電関東)
巨人   槙原寛己 (大府高)

 西武球団というより、すでに管理部長としてフロント入りした81年シーズンまでの監督・根本陸夫の戦略がさえ渡った。

 最大の注目は球団職員、伊東勤捕手の行方だった。前年夏、熊本工高で甲子園に出場し、強肩強打で注目されたが、定時制だったため西武が地元・埼玉の所沢高の定時制に転校させ、球団職員として採用するというウルトラCを見せた。

 ただ、ドラフトが近づくと巨人、ヤクルトが獲得に動き出す。コミッショナーからも「他球団の指名も差し支えない」と見解が出されたが、西武は下位に回すことなく、堂々の1位指名で、競合なしで伊東獲得に成功した。さらに6位でも熊谷組入りが内定していた名古屋電気高の左腕・工藤公康を強行指名。他球団をアッと言わせている。工藤に関しては、本人は熊谷組入りするつもりだったが、「根本さんに父親が口説かれ、ほれちゃった。それでどうしても入れになった」という。西武の2位、“死球男”金森栄治(プリンスホテル)も印象深い。

 工藤同様に高校3年組では、1位で近鉄が“夏の優勝投手”金村義明を阪急との競合の末、交渉権獲得。のち野手となって大成した“いてまえ大将”だ。さらにセンバツ出場の快速球投手・槙原寛己は巨人入りし、のち完全試合を達成する。巨人は3位でPL学園高の強打者・吉村禎章、5位で滝川高の強肩捕手・村田真一と、のちの主力となる選手を取っている。

 大洋と右田一彦を競合して外れた後、阪神が1位指名したのが源五郎丸洋だ。故障のため一軍登板はなく終わったが、期待外れの珍名選手として、いまも記憶している阪神ファンは多い。また金村を外した阪急は、のちのエース格で84年優勝時の抑え、山沖之彦。日本ハムはノーヒッター・田中幸雄、広島は社会人の速球右腕・津田恒美を獲得。津田はのち炎のストッパーと呼ばれる。ほか元気印の尾上旭、アンダースローの宮本賢治と個性派たちの名前がある。

 また、ヤクルトが4位で河合楽器の小川淳司、ロッテが5位で鹿児島鉄道管理局の西村徳文を獲得。2人はのちにそれぞれのチームで監督にもなっている。小川は選手としては大成しなかったが、西村は4年連続盗塁王と1度の首位打者に輝いている。

<次回に続く>

写真=BBM
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