今年は10月25日に行われるドラフト会議。毎年、金の卵たちが、どの球団へ進むか大きな注目を集める“一大イベント”で、さまざまなドラマも生まれる。今年で54年目を迎えるドラフト会議の歴史を週刊ベースボールONLINEでは振り返っていく。 下位にも名選手続々
1983年11月22日
第19回ドラフト会議(ホテル・グランドパレス)
[1位選手]
ヤクルト 高野光 (東海大)
ロッテ 比嘉良智(沖縄水産高)
中日 藤王康晴(享栄高)
南海
加藤伸一(倉吉北高)
阪神 中西清起(リッカー)
近鉄
小野和義(創価高)
大洋
銚子利夫(法大)
日本ハム 白井一幸(駒大)
広島 川端順 (東芝)
阪急
野中徹博(中京高)
巨人 水野雄仁(池田高)
西武 渡辺久信(前橋工高)
上位下位問わず、好選手がゴロゴロしている黄金ドラフトの1つだ。
1位では首都大学リーグで21連勝を記録した東海大の右腕・高野光がヤクルト、大洋、阪急、西武で競合し、ヤクルトへ。新人で開幕投手となり、86年には12勝を挙げたが、89年以降はケガで苦しんだ。引退後、自ら命を絶ったことも記憶に残る。
西武は外れ1位として前橋工高のエース・渡辺久信を指名。ナベQと呼ばれ、黄金時代に大活躍した。のちに西武監督として優勝&日本一も飾り、現在はSD兼編成部長を務めている。ほか1位には南海の加藤伸一、阪神85年優勝の抑え、球道くんこと中西清起、近鉄の左腕エース・小野和義、日本ハムの内野守備の名手・白井一幸、バタボールの広島・川端順、そして巨人が阿波の金太郎・水野雄仁らがおり、プロでは今一つだったが、甲子園のスター、藤王康晴の中日入りも話題となった。
2位でもヤクルトがブンブン丸・
池山隆寛(市尼崎高)、阪神が85年に活躍した
池田親興(日産自動車)、近鉄がメジャーにも渡った
吉井理人(箕島高)、広島が新人王となったスラッガー・
小早川毅彦(法大)、中日がしぶとい打撃の
仁村徹(東洋大)、巨人が89年日本一の立役者・
香田勲男(佐世保工高)、西武がセカンド守備の名手で現監督の
辻発彦(日本通運)と1位に匹敵するきらびやかな名前が並ぶ。
さらに3位でも南海・
岸川勝也(佐賀北高)、阪神・
仲田幸司(興南高)、近鉄・
村上隆行(大牟田高)、日本ハム・
津野浩(高知商高)、広島・
紀藤真琴(中京高)と、のちの主力がいる。
下位に大物がいるのも特徴で、中日5位が200勝左腕、最年長記録を次々塗り替えた
山本昌広(山本昌、日大藤沢高)、阪急5位が星の王子さまとニックネームがつき、超スローボールを駆使した
星野伸之(旭川工高)、南海6位が好守走がそろいメジャーに一番近い男とも言われた
佐々木誠(水島工高)。とにかく、すさまじい黄金年代だった。
<次回に続く>
写真=BBM