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ドラフト会議物語

【ドラフト会議物語24】注目の享栄高・近藤は中日に。西崎、阿波野も1位入団【1986年】

 

今年は10月25日に行われるドラフト会議。毎年、金の卵たちが、どの球団へ進むか大きな注目を集める“一大イベント”で、さまざまなドラマも生まれる。今年で54年目を迎えるドラフト会議の歴史を週刊ベースボールONLINEでは振り返っていく。

セ覇者の監督は3位


満面の笑顔で喜びを表した近藤


1986年11月20日
第22回ドラフト会議(ホテル・グランドパレス)

[1位選手]
ヤクルト 西岡剛  (近大)
南海   田嶋俊雄 (日本生命)
中日   近藤真一 (享栄高)
日本ハム 西崎幸広 (愛知工大)
大洋   友利結  (興南高)
ロッテ  関清和  (専大)
阪神   猪俣隆  (法大)
阪急   高木晃次 (横芝敬愛高)
巨人   木田優夫 (日大明誠高)
近鉄   阿波野秀幸(亜大)
広島   栗田聡  (三菱重工神戸)
西武   森山良二 (北九州大中退)

 最大の注目は甲子園を沸かせた大型左腕・近藤真一だった。意中の球団は中日。愛知県一宮市出身で、少年時代から、あこがれの球団であっただけではない。3歳のときに父親が他界し、母の手一つで育てられた。自分はずっと母親と暮らし、親孝行をしなければと思っていたこともある。

 夢をかなえてくれたのは、このオフ、監督に就任した39歳の星野仙一。1位でヤクルト、日本ハム、阪神、広島と5球団の競合となったが、2番目で当たりクジを引き当て、「近藤、約束どおりやったぞ!」とテレビカメラに向かって叫んだ。故障もあって大成はしなかったが、翌87年巨人戦での初登板初先発ノーヒットノーランの快挙は、いまも中日ファンの熱い思い出として残る。

 さらに翌年の新人王となる左腕・阿波野秀幸を大洋、巨人と競って近鉄が獲得。阿波野はのちこの3球団すべてのユニフォームを着て、かつ日本シリーズに出ている。ほか日本球界では結果を出せなかったが、のち米球界、台湾球界に渡る異色選手・田嶋俊雄は、阪急との競合の末、南海が交渉権を得た。

 近藤を外した日本ハムがトレンディーエース・西崎幸広、阪神が通算43勝の猪俣隆、阿波野を外した巨人が快速球右腕・木田優夫、大洋は西武で大成した友利結、田嶋を外した阪急が、複数球団で通算357試合登板の高木晃次を獲得など、外れ組もまずまずの結果を残している選手が多い。

 1位での最大の衝撃は西武が指名した森山良二だ。高校時代に注目されたが、指名当時は北九州大を中退し、ONOフーズという会社で働いていた、まさに“隠し玉”だ。故障に泣いたが、2年目の88年に10勝を挙げ、新人王となっている。

 2位にはヤクルトがいぶし銀の内野手・土橋勝征(印旛高)、中日が大砲・山崎武司(愛工大名電高)、3位にはヤクルトが“ギャオス”内藤尚行(豊川高)、阪神が代打の神様・八木裕(三菱自動車水島)、阪急が強肩捕手・中嶋聡(鷹巣農林高)、広島は攻守走がそろっていた現監督の緒方孝市(鳥栖高)、4位にもヤクルトが堅守の外野手・飯田哲也(拓大紅陵高)、阪急がミスター満塁・藤井康雄(プリンスホテル)。巨人の6位には盗塁王にもなった、もう1人の“オガタ・コウイチ”緒方耕一(熊本工高)もいる。

 なかなかの豊作年と言えるだろう。

<次回に続く>

写真=BBM
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