週刊ベースボールONLINE

プロ野球FA史

【FA史】“アニキ”は阪神、“ゴジラ”はメジャーへ/2002&03年

 

1993年オフからスタートしたFA制度。いまや同制度は定着し、権利を得た選手の動向は常に注目されている。週べONLINEでは、そのFAの歴史を年度別に振り返っていく。

チーム改革を断行した阪神


広島からFAで阪神へ移籍した金本知憲


 2002年オフ、日本一を飾った巨人でFAを宣言したのが、本塁打王、打点王の打撃2冠、MVPの活躍で日本一の立役者となった“ゴジラ”松井秀喜。目的地は国内の球団ではなく、中学時代からあこがれていたメジャーだ。松井はヤンキースと契約し、12年までプレー。日米通算507本塁打を残している。

 国内では、就任1年目のオフとなった阪神の星野仙一監督がチーム改革を断行。このストーブリーグにおける台風の目となっていく。

【2002年オフのFA移籍】
11月14日 若田部健一(ダイエー→横浜)

11月25日 金本知憲(広島→阪神)

 阪神はオフだけでなく、翌03年シーズン開幕後も含めてヒットメーカーの坪井智哉ら10選手を放出。広島でFAとなった金本をはじめ、日本ハムから左腕の下柳剛、捕手の野口寿浩、外野手の中村豊ら、レンジャーズでクローザーを務めていた伊良部秀輝も獲得して、翌03年のリーグ優勝につなげる。

 金本は地元チームでもある広島からのFA移籍。大いに悩んだが、星野監督の熱心な誘いもあって移籍を決めた。移籍1年目からリーグ優勝の起爆剤となると、04年には打点王、2年ぶりVイヤーとなった翌05年にも自己最多の40本塁打でMVPに選ばれている。広島時代から続いていた連続試合フルイニング出場も継続。最終的には世界記録を更新する1492試合まで伸ばしている。

 対照的に、ダイエーでFAとなった若田部は出身地の神奈川県に本拠地を置く横浜へ移籍。だが、右ヒジ痛を発症して翌03年オフに手術、その後も球威は戻らなかった。

 その横浜でFAを宣言してメジャーを目指したのが、東北高、東北福祉大の先輩でもあり、1999年オフのFA宣言で海を渡った佐々木主浩にかわってクローザーを担っていた斎藤隆だ。最終的には残留を決め、夢は封印。その後は故障が相次ぐ。だが、05年オフ、自由契約を選んで再度、メジャー挑戦。ドジャースとマイナー契約を結ぶと、開幕後にメジャー昇格、その後はクローザーとしてメジャー5球団を渡り歩き、日米通算100勝100セーブを達成している。

パ・リーグのリードオフマン2人がFA


松井稼頭央はFAでメジャー移籍。2004年はメッツでプレーした


 日本一チームのダイエーから、主軸の小久保裕紀が巨人へ“無償トレード”で放出される不可解な事態に騒然となった03年オフ。国内FAは、そのダイエーの1件だけだった。

【2003年オフのFA移籍】
12月3日 村松有人(ダイエー→オリックス

 村松は新天地のオリックスでもリードオフマンに。盗塁こそ減らしたが、シュアなバッティングでチームを支えた。その後、08年オフにソフトバンクとなった古巣へ復帰し、10年限りで現役を引退している。

 一方、FAで海を渡ったのが西武のリードオフマンだった松井稼頭央だ。翌04年からメッツでプレーし、史上初の開幕戦新人初打席初球本塁打という離れ業で鮮烈デビューを飾った。以降、3年連続でシーズン初打席本塁打。ロッキーズ、アストロズを経て10年オフに楽天で日本球界へ復帰すると、13年には楽天の初優勝、日本一に貢献している。18年は古巣の西武で10年ぶりのリーグ優勝を見届けて、24年もの長きにわたる現役生活の幕を下ろした。

写真=BBM
週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部が今注目の選手、出来事をお届け

関連情報

みんなのコメント

  • 新着順
  • いいね順

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング