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中畑清コラム

中畑清が語る原辰徳 「勝ち運を持っている男なんだよね」

 

ファーストに“左遷”されたのは……


現役時代の中畑(後列)と原(前列左。右は篠塚)


 入団から3年間、一軍で出番に恵まれなかった俺が1978年オフ、日米野球で逆転2ランを放つなどきっかけをつかんで、79年は100試合、80年は124試合と三塁手として出場試合を増やしていたその矢先、81年に原辰徳監督が入団してきた。週刊ベースボールの表紙も何度も飾っていたのに、なんで同じサードの選手を! という思いがフツフツと沸いてきてね。

 だからね、80年オフの納会で首脳陣に対して「勝負しないでポジションを与えるのは納得いかない」って言ったんだ。そしたらちゃんと勝負させてくれて、オープン戦もずーっと四番を打ち続けて、全試合ヒット打って、抜群の成績を残した。自力で開幕サードのポジションを奪った。原は、篠塚和典がセカンドにいたんだけど、その篠塚を抑えてセカンドで開幕戦を迎えたんだよ。

 でも、原がセカンドにいるとね、俺、すごく気になっちゃうの。原はさ、バッターを見てないんだよ。サードの俺のことばっかりずっと見てるんだよ。怨念っていうか、「なんでお前がそこにおんねん!」みたいなさ(笑)。そういうまなざしがガンガン来るわけよ。そしたら、開幕して1カ月くらいかな。後楽園球場で相手は阪神。俺が四番、原が五番かな。4回裏、一死。俺がショート内野安打で出塁する。次のバッターは原。サードゴロを打って、掛布雅之が二塁の岡田彰布に転送。俺はその岡田のダブルプレーを阻止するために足払いよ。ジャンピングスローするところの足にガーッとからんだら、岡田はそのまま空中で回転して、そのまま俺の上にドーン! と落っこちてきた。

 脱臼って骨折より痛いの。その痛みに耐えながらベンチに帰る。そしたら、場内アナウンスで「中畑に代わりサード、原」。5万人の観衆がワーッと大歓声だよ。俺の痛みにトドメを刺すような。でも原監督の勢いがまさしくあったのよ。新人・原のサードをファンは見たくてしようがない。歓声がその表れだよね。それを聞いたときに、「俺はもう終わったな」と思った。ケガがなければ俺はずっとサードでいられたわけよ……。

 原はやることなすこと何でもうまくやって、みんなを惹き付けて、チームの柱になっていく。やっぱりラッキーボーイっていうのかな、運を持っている男なんだよね。勝ち運を持っているっていうか。そういう星の下に生まれてきた人ってやっぱりいるよね、どの世界でもさ。

 でも、監督になってからの原とは、バッティングゲージの裏で1時間、2時間と平気で話できるんだよな。アイツの話は勉強になる。成功する裏付けになるものは全部持っているね。やっぱり勉強家だなって。

 まあ、俺の中で本当の意味でライバルだよ。原のおかげで俺はファーストにコンバートされて、7年連続ゴールデン・グラブ賞を獲得している。ファーストに“左遷”されなかったら、あのタイトルないんだよね。毎年オールスターにも選ばれたのも同じ。だから「タツ、お前よくサードゴロ打ってくれた」って思う気持ちは……まったくない(笑)。

写真=BBM
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