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週刊ベースボール60周年記念企画

南海・野村克也、大激怒!/週べ1964年12月21日号

 

 今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

飯田コーチに果物屋


表紙は左から大洋・高橋重行別所毅彦コーチ




 今回は『1964年12月21日号』。定価は50円だ。
 南海・野村克也が「俺はもう野球をやめたい」と怒った。

 1964年本塁打、打点の2冠に輝きながら球団から年俸の20パーセントダウンを提示された後の会見だ。
 
 12月2日、契約更改のために球団事務所に来た時点ではニコニコの笑顔だった。
「ワシは一発で終わるで。今日は選手会の話をしようと思うんや」
 と記者に言い残して契約更改の席に挑んだ。

 しかし20分ほどして現れた野村は別人だった。目が充血し、完全に怒りの表情。記者の質問が出る前に自ら、
「減俸や、20パーセントのダウンや!」と吐き捨てるように言った。
「理由は聞いたのか」と言われ、
「あらゆる成績が悪いといいよるんだ。そらあ、打率は2割6分ちょっとだが、どこの球団に2つもタイトルを取って減俸したところがあるんや。ほんま話にならん。あほらしくて飛び出してきた」
 入団から10年で減俸は初という。
「もう自由契約でもトレードでもなんでもええ。どないなっても構うかい! 何べんでも話し合おうというたけど、ワシは絶対行かんで!」
 なじみの記者もこれほど怒った野村は初めて見たという。

 一方、球団は、いくらタイトルを取ったといっても、勝利に貢献した、いわゆる“有効打”が少なく、かつ昨年と数字で比較しても52本塁打から41本塁打、135打点から115打点と減っているではないかと主張。完全に平行線となっていた。

 少し緩いネタも。国鉄の飯田徳治コーチが横浜駅の地下街に「ゴールデン・フルーツ」を開店した。店内にはツバメマークと国鉄のペナントがあちこちに貼られ、
「おお、ここが国鉄の飯田がやっている店か」
 と言いながら入ってくる人も多かった。
 
 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM

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