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週刊ベースボール60周年記念企画

金田正一、晴れて巨人に/週べ1965年1月11日増刊号

 

 今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

ややこしいB級十年選手の移籍


表紙は左が巨人王貞治



 今回は『1965年1月11日増大号』。定価は60円だ。
 12月23日、“元”国鉄・金田正一にとってあわただしい1日になった。

 まずは正午、西銀座のセ・リーグ事務局へ。鈴木龍二会長と会談。ここで「通告書」を確認した。
 それには鈴木会長が巨人に金田と交渉することを認める一文が書かれている。

 B級十年選手の資格で国鉄との契約を拒否した金田は協約によって特別保留選手となり、鈴木会長の管轄となった。これは52年以前に入団選手だけのルールなのだが、金田は移籍の自由が得られる10年目に移籍を選ばず、立場がB級となっていたため、移籍を希望しても、かなり込み入った流れが必要になったようだ。

 実は、金田が権利を行使する前、鈴木会長は「A級十年選手ならともかく、B級十年選手が特権を行使すること自体すでにトラブルだ。将来野球殿堂入りする君がトラブルの末、プロ入りすることは好ましくない。できればトレードで円満に解決してほしい」と説得したが、国鉄内のサンケイ派と話し合いすらしたくなかったのか、金田はそれを拒絶していた。

 金田はその後、ルールどおり鈴木会長から下位球団から中日、次いで広島と契約するよう勧告されたが、いずれも拒否(中日は8000万円という破格な参加報酬と、将来の監督手形も保証すると言ったらしいが)。巨人との契約を希望した。この通告書は、鈴木会長から巨人に、金田との交渉に入っても差し支えない、と許可を出す書類だ。

 午後1時45分、読売本社を訪れた金田は正力亨副社長と会談。すぐさま入団決定(内定)会見を行い、「巨人に入れてうれしいですね。夢のようです」と語った。

 一方、入団を聞いた川上哲治監督は「もちろん大歓迎だし、有利になることは確かです。なにせ20勝が計算できるのですから。世間では金田君がわがままだとか言っていますが、金田君は超一流の選手です。野球をやるためにすべての生活を注ぎ込んでいる。ああせいこうせいといまさら言うような選手ではないですよ」とコメントした。

 新人プール制(ドラフト)については、12球団中9球団が賛成。西鉄の西代表が中心になって提唱しているものだが、この時点ではのちとは違い、少し細かい。

 プロ入り希望の選手を一度連盟でプール。そこでABに分け、契約金はAが500万、Bが200万。月給は大学出が15万〜20万、高校で10万〜15万、中学出5万〜7万、中退2割引き、社会人経由は2割増しで、ABと分けるのは各球団の代表とスカウト部長らしい。

 これに対し、労働基準法違反、独禁法違反との声もあったようだ。
 
 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM
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