今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 山内一弘の家問題
今回は『1965年1月18日号』。定価は50円だ。
南海からSFジャイアンツに野球留学生として派遣され、メジャーのマウンドも踏んだ
村上雅則。これはでめでたい話なのだが、SFジャイアンツが村上はすでに自分たちの支配下選手になっていると南海に通告。日米にまたがる大騒動となっていた。
カギはSFジャイアンツから南海に渡された1万ドルだった。南海はこれを村上への功労金ととらえ、SFジャイアンツは移籍金のつもりで渡していた、と主張。当初は南海の鼻息が荒かったが、どうやらルーズな契約書へのサインが問題の元凶になったことが明らかになってきた。
南海が村上ら3人を野球留学させる際にかわした契約書には、
「大リーグに上がるときは1万ドルで選手についてのあらゆる権利を買い取る」とはっきり書かれ、さらに南海は3人の自由契約証明書にも南海側はサインしていたという。
村上もまたSFジャイアンツで1965年もプレーするとの契約書に9月30日サインしていた。
ともに、かなり安易だったと思われる。
当時の日本社会ではサインをあまり重視しておらず、文化の違いと言えるかもしれない。
この号では推理小説家・佐野洋が推理小説風に、この一件を検証していた。
64年優勝の
阪神では大毎(東京)から移籍1年目の
山内一弘の契約更改が大もめになっていた。
山内が球団に不満を持っていたのは、移籍直後の家探しからだ。東京から大阪の移籍だけに住居問題は大きかった。阪神は口約束だったようだが山内に「家は準備する」と言ったらしい。
この「準備」がクセモノで山内は「一軒家を買ってくれる」のだと思ったが、球団は「家を探し、紹介する」くらいの解釈だったらしい。山内の不満に気づいた球団は4月になって家を用意したが、それがかなり小さいものだったようで、結局、山内は自分で家を買うことになった。
山内は契約更改で、その不満をちらつかせながら球団に「チーム最高額」を要求し、90万円を提示された。サインはしなかったが、オリオンズ時代、75万だった山内は金額には満足した。しかし、のち
吉田義男が126万円という新聞報道を見て、へそを曲げてしまったらしい。
選手の副業の記事もあった。
掲載した記事は、国鉄・
飯田徳治コーチが開店した果物屋だが、ほか巨人に移籍した
関根潤三の喫茶店、同じく巨人・
北川芳男のガソリンスタンド、阪神・
村山実のマンションなどが載っていた。
では、また月曜日に。
<次回に続く>
写真=BBM