今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 野村克也も無事契約
今回は『1965年2月1日号』。定価は50円だ。
巨人・
川上哲治監督が背番号16を返上することになった。16は現役時代から川上の代名詞のようなものだったが。川上自ら返上を正力亨球団代表取締役に申し出て、
「(監督番号と言われた)30番がいいのではないか」と言ったが、 正力は
「30番は平凡ではないか。いっそ3ケタはどうか。101がいいではないか」と言ったらしい。
広岡達朗の移籍騒動で冷戦状態となった番記者たちとの手打ちの宴会も正力主催で行われ、最初は記者たちの「もっと取材に協力してほしい」の意見にうなずいていた川上だが、しつこいと思ったか、
「みんな協力しないというが監督としてみれば、質問に答えられないケースもある。いちいち正直に答えていては巨人軍内部の秘密を話さなくてならんことになる」
と語気を強め、言い放った。
新加入の
金田正一は巨人ファンの女優・大空真弓と対談。巨人での目標について次のように語っている。
「これからは新たに巨人で100勝が目的だね。これを最初の目標にし、どうせやるなら500勝したいと思う」
当時の勢いなら届かない数字ではなかった。
1回目の契約更改で20パーセントダウンを提示された南海・
野村克也。怒りから引退もほのめかしたが、2回目でしぶしぶサイン(ダウン額は多少は狭まったらしい)。
このときの新山球団代表とのやり取りが載っていた。
新山 君は確かに2つのタイトルを獲ったが、ホームランが昨年(63年)より少なかった。
野村 確かに少なかったが、打点、本塁打と2つのタイトルを取って日本一に貢献したつもりです。
新山 それは私も認める。だが君の魅力は何と言ってもホームランなんだ。君はベーブ野村と言われているホームラン王だよ。君がもし来シーズンに今年より多く打ったら、給料を上げてやろう。
野村 分かりました。ホームランをボカスカ打ちましょう。気持ちだけは王ちゃん(巨人・
王貞治)の55本をやります。最低42本(64年は41本)打って昇給してもらいます。
新山 分かってくれてよかった。42本や50本と言わず、60本台と言ってもらいたいね。
実際はこれほど穏やかだったわけはあるまい。加えて野村は「3割を打ちたいんや」と強調した。これは64年の打率.262をボロカスに言われた悔しさからだろう。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM