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週刊ベースボール60周年記念企画

マッシ―村上二重契約/週べ1965年2月22日号

 

 今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

榎本喜八の打撃練習


表紙は左が巨人王貞治、右上が南海・野村克也、下が巨人・城之内邦雄



 今回は『1965年2月22日増大号』。定価は50円だ。
 最近の回で、いつも同じような出だしを書いているが、南海・村上雅則問題はさらにこじれてきた。

 SFジャイアンツと契約し、南海の反対を押し切って、そのまま渡米するかと思われた村上だが、1月29日に大阪入り。1月31日から南海の自主トレに参加し、翌2月1日、南海とあらためて契約書を交わした。

 帰国時、羽田空港で記者の質問に英語で答え、「日本語を忘れたのか」と一喝された村上。その後も「アメリカでやりたい」と繰り返していたが、この契約の後は、
「南海でプレーすることに決めました。向こうがどう言おうと、監督さんが話をつけてくれると思います」と淡々と語っていた。気持ちは完全にメジャーだったが、周囲の反対に押し切られたというところか。
 南海・新山社長は
「村上選手は南海の選手である。サンフランシスコ・ジャイアンツとの契約は無効だ」
 と強気に話した。
 が、これはいくらなんでも無理がある。特にアメリカでは契約は絶対だ。

 SFジャイアンツは大激怒。すでに来季のシーズンチケットの前売りの際、村上の名前を出し、在留邦人から人気を呼んでいただけになおさらだったようだ。さらに「このようなやり方で約束を反故にするとはおかしいではないか」と米コミッショナー、フリック氏からの抗議文が南海に届く騒ぎとなった。
 結局、すべては日米のコミッショナー裁定で決まる、となったようだ。

 宮崎では巨人のキャンプがスタートした。この年の大きな目玉は国鉄から移籍の金田正一と王貞治、長嶋茂雄、ONのそろい踏みだ。

 前年の国鉄キャンプではチームの宿舎とは別の旅館で離れを借り切っていた金田だが、巨人では6畳間で、しかも若手の渡辺秀武と相部屋。それでも「部屋なんかどないなとこでもいい。ワシは1年生やしな」と笑顔。
 まさに借りてきた猫状態だったが、この男はやることはやる。結果を出すことがすべてと分かっているからだ。

 毎日6時半に起きると、若手を引き連れ、ランニング。練習でも全体練習以外にも近くの土手を上り下りしたりで体を動かし続け、周囲を驚かせていた。

 東京の榎本喜八の練習風景の記事もあった。長いものではなかったが、なるほど、と思ったので紹介しておく。
 全体練習の後、榎本はいつもベンチ横のガラス窓に体を映し素振りが日課だった。
「いまの感じならいいんだ」
「ところがバットを振っても心が抜けているときがある」
「難しいな」
「これは芯が入っていない」
「技体だけだ」
 誰かとの会話ではない。すべて榎本の独り言だった。
 孤高の天才と言われた方の打撃論は、どのようなものだったのだろうか。

 では、また月曜日に。

<次回に続く>

写真=BBM


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