今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 新人出場制限は完全撤廃
今回は『1965年4月12日号』。定価は50円だ。
前年22勝を挙げ、優勝に貢献した
阪神・
村山実がフォームを変えた。従来の豪快なオーバースローに加え、腕を下げたピッチングを交えたのだ。
引っ越しの際にあらためて見た過去のプレー写真を見ていて、たまたま試合終盤、腕が下がっているのに気付き、「これをあえて意識してやればいいのでは」と思ったからだという。
村山は「腕を下げれば、長嶋(茂雄。巨人)が苦手な外へのカーブ球を簡単に投げられる」と話す。昔は、この手の二刀流投手はかなりいた。実際、阪神のコーチ、
杉下茂も現役時代、そうやっていたという。
ただ、あえていえば、試合終盤に無意識に腕が下がるとすれば、肩かヒジに異変があって無意識にかばってだったはずだ。
村山は、あえてそれを認めなかったのか。
いずれにせよ、オープン戦の試運転は順調。
「7回を投げたが、まったく問題ない。公式戦では体をカッカさせるためと体力の消耗を防ぐため、5回が終わったらアンプルを2本は必ず飲んでいたが、まったく平気やった。あれなら楽に完投できるで」
ついに新人の出場制限は完全に撤廃されたことが正式に決まった。
西鉄の新人・
池永正明は、この年20勝を挙げ、一躍スター街道を進むことになったが、この制度の初期のように100試合不出場なら、おそらく1年目は腕試し程度で終わっていただろう。
そうなれば、どうなっていたのだろうと、あの事件に巻き込まれることもなかったのかもしれない、とつい思ってしまう。
池永と同じく西鉄の新人で、のちジャンボ尾崎としてゴルフ界で開花する
尾崎正司(将司)との対談もあった。
話の中で2人も巨人ファンだったことを明かし、将来は「スピードのあるピッチャーになりたいのはむろんですし、勝負球にちゃんとした球を持つピッチャーになりたいです。カウント球は真っすぐで、勝負球はスライダーとか」
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM