今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 小山正明、名人の境地
今回は『1965年4月26日号』。定価は50円だ。
1965年シーズンがいよいよ開幕。
4月10日、後楽園での
巨人開幕戦では、
中日相手に移籍1年目の
金田正一がマウンドに立ち、完投勝利。自らのホームランもあった。
「きょうはワシの新しい一生の門出や。ほんま、足がガタガタ震えてしまった。こんなにあがるとは思うてもみんかったね」
記念の1球目はカーブ。これは国鉄時代から通していたことでもあったという。
金田の大暴れは開幕戦だけではなかった。12日の3戦目のことだった。
8回裏、打者・
長嶋茂雄のところで中日・
西沢道夫監督は投手を
柿本実にスイッチ。
もともとインコースに厳しい球を投げ込むタイプだった。
このときも長嶋の顔のあたりに1球。長嶋が、ひっくり返ったシーンもあったが、仕返しとばかり柿本の太ももに直撃する当たりで出塁。その後、長嶋が二塁に進んだ後だった。
偶然目が合ったのかどうかは分からないが、二塁ベース上から長嶋の「またやって、危ないじゃないか!」の声に柿本が激怒し、詰め寄る。すると、すぐさまベンチから金田が柿本に突進。その後、両軍もみあいとなって結局、金田と
柳田利夫が退場となった。
金田は言う。
「柿本は1戦目のときもワシにビーンボールを投げてきた(頭の上に1球あった)。あの柿本というのは常識に欠けているんじゃないか。
もし、ああいう球を許すというならワシも投げる。どんどん投げてやるよ。きょうのワシの態度が悪いというなら罰金でもなんでも払う。公平にさばいてもらいたいね」
国鉄時代は口は出すが、乱闘に参加することはなかった。それは自らの体を“商売道具”と思っていたからでもある。
あこがれの巨人で金田は変わった。
パでは東京・
小山正明が開幕戦で東映相手に勝利投手。そのときの感覚が面白い。
「あの試合は自信を持って投げられた。ピッチングに自信があると、マウンドがなだらかになっていて、自分がその中に沈み込んでいるような感じがする。ピッチングが悪いとマウンドが高くなって、自分だけが高く飛び出しているようだ」
名人の境地だ。
ではまたあした。
<次回に続く>
写真=BBM