8月28日に来日初勝利を飾った日本ハムのロドリゲス。活躍の陰には寺嶋大賜さんのサポートがあった
高校時代、ショートを守っていた
京田陽太はドラゴンズでもショートのレギュラーポジションを勝ち取り、去年の新人王に輝いた。同じチームでサードを守っていた
木浪聖也はこの秋のドラフト会議でタイガースから3位で指名されて入団、高校時代のライバルでもある同い年で光星学院(現、八戸学院光星)出身の
北條史也、
植田海、
鳥谷敬らとショートの定位置争いに挑む。そしてレフトを守っていた大坂智哉は、リトルリーグでプレーしていた
大谷翔平に「大坂君にはかなわない、負けた、上には上がいるんだなと思いました」と言わしめた逸材で、現在は鷺宮製作所でプレー。今年、都市対抗にも日本選手権にも出場し、来年のプロ入りを目指している。
彼らは青森山田の同級生だ。
生まれは1994年度で、北條の他にも、大谷翔平や
藤浪晋太郎、
鈴木誠也らと同学年にあたる。じつはそのときの青森山田で京田、木浪、大坂とチームメートだったのだが、レギュラーにはなれなかったプロ野球人がもう一人、いる。それが寺嶋大賜(たいし)さんだ。彼は今、ファイターズの通訳兼広報としてチームを支えている。
寺嶋さんは青森山田を卒業後、アメリカの大学野球部のセレクションを受けて合格。単身、アメリカへ野球留学。ニューヨーク州といってもマンハッタンからは西へ遠く離れたアルガニーという街にある、セント・ボナベンチャー大学。ここで外野手としてプレーした寺嶋さんは、長所を伸ばすアメリカならではの指導法と自由な風土がフィットしたこともあって、レギュラーとして活躍した。寺嶋さんはこんな話をしていた。
「英語は、高校で勉強した程度です。高校レベルでは成績はそれなりに良かったと思いますけど、まぁ、その程度ですし(苦笑)、最初は全然、ダメでした」
帰国後、野球のデータ分析をする会社に就職。半年後、寺嶋さんは希望してファイターズへの転職を果たした。アメリカの大学へ留学したわずか4年で通訳ができるレベルにまで英語力を高めることができたのは、彼の努力とセンスの賜物だろう。寺嶋さんは続けた。
「今年、担当したのはドミニカ出身の
ブライアン・ロドリゲスでした。彼は二軍での生活が長かったので、一人で引きこもりがちでした。家でネット動画ばっかりを見ていたんです。これはどうしたものかと思って斎藤(
斎藤佑樹)さんに相談したら、斎藤さんが『任せとけ』と言って下さって、都心のブラジル料理の店に連れてってくれました。それからロドリゲスは外へ出掛けるようになったんです」
今年、来日1年目ながらいきなり開幕投手に抜擢されたロドリゲスだったが、ライオンズ打線にメッタ打ちを喰らい、3回途中、8失点でKOされてしまった。その後、外国人枠もあって登録抹消、出場選手登録を繰り返し、開幕戦を含む3試合に投げて0勝2敗と期待を裏切ったまま、夏を迎えた。そして8月28日、宮崎で行われたバファローズ戦で先発し、5回を投げて被安打2、無失点の好投を見せ、ようやく来日初勝利を手にした。試合後のヒーローインタビュー、ロドリゲスの第一声は覚えたばかりの日本語だった。
「アリガトゴザイマス」
そして、英語で話すロドリゲスの傍らには、寺嶋さんがいた。
「打たせて取るピッチングが自分の持ち味でもあるので、それを発揮できて良かったです」
通訳する寺嶋さんもうれしそうだ。何しろ寺嶋さんは、ファームの広報も兼務している。本当なら鎌ヶ谷にいなければならない。しかしロドリゲスが一軍に呼ばれ、久しぶりの先発をするというので寺嶋さんは宮崎に呼ばれた。その日、鎌ヶ谷でファームの広報業務を務めるよりも、ロドリゲスの通訳として後方支援をしてもらったほうがいいというチームの判断だった。それほど寺嶋さんの存在はロドリゲスにとって大きかった。
「ファームにいるときは一緒にキャッチボールをしたり、休みの日には外へ引っ張り出そうとロドリゲスと一緒に電車で都内へ出て、フーターズ(アメリカ生まれのレストラン)で彼の好きなバッファローウイングを食べてましたね」
そんな寺嶋さんの心遣いと、ロドリゲスとの距離感を、チームの誰もが知っていた。初勝利の夜、ロドリゲスと寺嶋さんは、夜の街へ繰り出すことなく、ホテルの食事会場でささやかに初勝利を祝ったのだという。シーズン終盤に3勝を挙げて伸びしろを期待されたロドリゲスは、来シーズンの残留が決まった。寺嶋さんは引き続き、ロドリゲスのサポートをする。
青森山田で、厳しく辛い3年間をともに過ごした京田、木浪、大坂、そして寺嶋さんもまた、プロの世界で戦う野球人の一人なのである。
文=石田雄太 写真=BBM