『ベースボールマガジン』で連載している「現役を引退してから別のお仕事で頑張っている元プロ野球選手」のもとをパンチさんが訪ね、お話をうかがう連載です。今回は銚子商高時代に甲子園で活躍してからドラフト1位でロッテに入団し、現在はメットライフ生命保険会社に勤務する澤井良輔さんにお会いしました。 入社後、1年半で『ルーキー賞』受賞
「独立リーグのコーチを経て、NPBに戻りたいという気持ちも当然ありました」と、澤井さんは言う。
澤井さんがコーチに就任して2年目の2009年、ダイヤモンドペガサスはBCリーグで初優勝。ベストナインのうち6人は、澤井さんが指導した選手たちだった。だがコーチとして自信を深めた澤井さんに、わずか数日後、待っていたのは「任期満了」のひと言だった。
「もう、野球界で残っていくのは無理だな」
そう思ったとき、その夏出会った、とある保険営業の担当者の言葉を思い出した。
「宇都宮に来なよ、君なら営業、できると思うよ」
すぐ彼に――現在同じオフィスで働く石川克自さんに電話をし、会って話を聞いた。その日のうちに、「(保険の仕事を)やりたいです」と希望を伝えた。
パンチ 千葉や群馬でコーチをしてよかった?
澤井 はい。仲間がたくさん増えましたし、今の人生において、キーになる方々とも出会うことができました。そこからお陰様で関東全域に仕事の場を広げることができました。
パンチ 18歳でプロに入ってね、なかなかいろんな人たちと会って会話をする機会もなかったでしょう。それがいろんなところで、「こんな仕事をしている人がいるんだ」と広く社会を見られたのはよかったね。
澤井 群馬県高崎市にお客さんが結構いるんですけれども、今いろんな方に言われるのが、皆さん最初、僕のことは大嫌いだったそうです。自分ではそんなつもりはなかったんですが、鼻がツンツンしていて、お客様からすると「そういう態度が鼻についたんだ」と。この仕事に就いて、先輩方からいろんなことを教わり、それを実行していくうちに「人ってこんなに変わるの?」と言っていただけるようになって今があるので、本当によかったですよ。
パンチ 今、入社9年目になるのかな。最初から生命保険の営業職?
澤井 そうです。10年の1月1日に入社して、1月いっぱいは東京の本社で研修。2月から(現在も在籍する)宇都宮エイジェンシーオフィスで、実際に営業を始めました。
パンチ いつごろから、営業の仕事の面白さなのか、手ごたえなのか感じ始めた?
澤井 入って2カ月後くらいには、まだまだ保険について学ぶことは多かったですが、営業としてはある程度、前には進んでいけるだろうなと思いました。それで入社後1年半、ある一定の数字を残すと表彰してもらえる『ルーキー賞』をいただいたんです。
パンチ それは、仕事もますます面白くなってくるよね。
澤井 自分の仕事がお給料や、そういった賞で、正当に評価される。そこはそれまで感じたことのなかった、何よりの魅力でした。
パンチ 野球だと、毎日1000回バットを振っても、1年後の試合でヒットを打てるかどうかは分からない。でもやっただけ手ごたえが感じられるのは、面白いだろうね。
澤井 実際、お客様にお会いしてすぐ、ご契約をお預かりすることもありますので。
パンチ そういう意味では、カベに当たったことはない?『ルーキー賞』後の、2年目のジンクスとか。
澤井 あまりなかったです。僕と同じ営業担当者は全国に約4000人いますから、当然トップの成績は秀でています。でも、僕はそこと競うつもりはなくて、自分の中で毎年ある一定の数字を決めているんです。その目標を少しでもいいから毎年超えるようにと考えて、それはクリアしてきましたから。
パンチ 今、毎日どういうサイクルで仕事しているんですか。
澤井 朝は8時半くらいに出社します。今は4人のメンバーがいるユニットを率いているので、彼らとミーティングをしてから、自分のお客様のところに行きます。
パンチ その中で、仕事をやっていて一番面白いな、充実しているなと思うときは、どんなとき?
澤井 若いメンバーがそれぞれの目標を達成したときは、「よく頑張ってくれたな」と僕自身も充実感を覚えますね。個人的なところでいうと、お客様のお子様が結婚して、その新しいご家族の保険をお預かりしに行くときとか。それだけ長く仕事をしているんだなと感慨深いです。一昨年は、お客様のグアムでの結婚式に招待していただきました。
パンチ それは紙とペンだけの契約じゃなくて、そこに込められた澤井君の気持ちがお客さんにつながったということだよね。
澤井 まさか身内だけの結婚式に呼んでいただけるとは思っていなかったうえに、「挨拶してください」とまでおっしゃってくださって。ただ保険を売っているだけの仕事ではないんだなとあらためて感じました。
「いつもお客様のことを気にかけている」と伝わるように
パンチ ある意味“企業秘密”だと思うんだけどさ、話せる範囲で、澤井君なりの「僕はこういうことをしているから、他の営業マンには負けません」ってところを教えてもらえる?
澤井 手紙はよく書いています。最初に保険のお話をさせていただきに訪問したとき、ご契約を預かったとき、お誕生日、年賀状。この4回は、必ず手紙を書きます。特にお誕生日は、必ずピッタリに着くように。
パンチ それは素晴らしいね。俺もグルメレポーターで行ったお店には、必ずお礼のハガキは出すよ。でも、その1回だもん。
澤井 僕に今の会社を紹介してくださった石川克自さん(宇都宮エイジェンシーオフィス)という方に、営業を始める前、「50円で何かできることを考えてごらん」と言われて。それが、今は料金が変わってしまいましたけど、ハガキだったんです。「“僕たちはいつも皆さんのことを気にかけています”とお伝えし続けたほうがいいよ」と教わったので、それだけは守っています。
パンチ だって、ハガキを書く相手も5人、10人じゃないもんね。毎年増えていくわけでしょう。
澤井 今、600人くらいですね。
パンチ うわあ、それはすごい!
澤井 でも実際、長文を書くわけではありません。まったく苦にはなりません。
パンチ 今、仕事以外で楽しい時間は何ですか。
澤井 桐生市立商業高校の硬式野球部で、土日にボランティアでコーチをしているんです。あとは、プロ野球OBクラブで野球教室の依頼があれば、行かせていただいています。やはり野球に育ってもらったところが大きいので、少しでも恩返しをしたいと思ってやっています。
パンチ でも、平日は仕事でしょう。家族との時間はどうしてるの?
澤井 一緒にグラウンドに連れて行っています(笑)。で、帰りにみんなで食事をして。
パンチ それは、付き合ってくれる奥さんに感謝しないといけないねえ。さて、将来の夢はどうですか。
澤井 長く、そして最後までこの会社で勤め上げることですね。
パンチ 俺はさ、
イチローと同時期に
オリックスにいて、同じ外野手だったでしょ。だから「イチローはすごかったけど、パンチはダメだった」と言われないよう、「パンチはテレビ向けだったな」って言われるよう頑張ろうと思ってやってきたんだ。イチローとパンチといったら確かに年収から何から違うけれども、俺は彼に負けないくらい幸せだと思っているの。だから今、イチローに会っても「おう! 俺も頑張っているよ」って言える。澤井君も、高校時代からプロに至るまで、ずっと福留(
福留孝介、現
阪神)君と比べられていたでしょう。だけど今福留君に会っても、「よう!」って握手できるよね?
澤井 そうですね。今のほうが、胸を張って会えますね。
パンチ 澤井君も人生においては、成功者だよ。これからもお互い、真面目にコツコツ、頑張っていこう。
パンチの取材後記
僕は『元気配達人』をキャッチフレーズに、仕事をしています。だから仕事をするときは、必ず取材先の皆さんに“元気”をお渡しできるように心がけています。そして、「パンチが来てなんか元気をもらったよ、そのあとハガキも来ちゃったよ」と言っていただけるように、との思いで取材後は必ずそのお店に一筆書いてきました。
でも上には上がいる、ということですね。600人超のお客様に毎年何通もハガキを書くなんて、本当に気持ちがなければできるものではありません。
タレントとして、「パンチ君にぜひこの仕事をやってほしい」と言われたら一流だ、と言われてきましたが、澤井君も今、会社というより「澤井君に任せた」という感じで契約を預かっているのではないでしょうか。いや、大したもんですよ。
あとはもうちょっと、奥さん孝行をしてあげましょう!(笑)
<完>
●澤井良輔(さわい・りょうすけ)
1978年3月9日生まれ、千葉県出身。銚子商高では3年春夏甲子園出場で春準優勝。ドラフト1位で96年ロッテに入団し、05年限りで引退。通算成績は90試合、36安打(打率.225)、6本塁打、19打点。引退後は千葉県内のクラブチームやBCリーグ・群馬ダイヤモンドペガサスのコーチを経て、2010年からメットライフ生命保険株式会社に勤務。現在は同社宇都宮エイジェンシーオフィスのエイジェンシーセールスマネージャーを務める。
●パンチ佐藤(ぱんち・さとう)
本名・佐藤和弘。1964年12月3日生まれ。神奈川県出身。武相高、亜大、熊谷組を経てドラフト1位で90年オリックスに入団。94年に登録名をニックネームとして定着していた「パンチ」に変更し、その年限りで現役引退。現在はタレントとして幅広い分野で活躍中。
構成=前田恵 写真=小倉元司