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編集部員コラム「Every Day BASEBALL」

広い視点で進めたい「高校野球改革」

 

2018年夏の甲子園から始まった給水タイム


 平成最後の年、そして次の元号の最初となる年が明けた。この機会に、何かちょっと野球界の将来にかかわってくる話を書けないかと思っていたら、高校野球に関して、年末に興味深いニュースが2つ飛び込んできた。一つは、新潟県高校野球連盟が、来年の春季県大会で、投手の球数制限を採用する方向だという話、もう一つは、日本高校野球連盟が、今夏の甲子園の全国選手権大会で、休養日を1日増やすことを検討しているという話だ。

 過去、厳しい規律や規範が前面に押し出され、「お堅い競技」の代表のように見られていた高校野球だが、ここへきて、昨年の甲子園大会でのタイブレーク導入など、選手の体を守る方向に向けた制度改革の動きが加速してきた。少子化に伴う野球人口の減少という背景がそこにはあるが、甲子園でのタイブレークの導入の成功もあり、長く続いてきた制度を変革することに対する抵抗が少なくなり、そういった気運が高まっている感じもある。

 今回の動きも、いずれも選手の体を守ろうという方向性のもの。プレーヤーが大事にされない競技には将来はあるはずがないということを考えると、その方向性には大いに賛成である。特に甲子園の休養日増については、選手の立場からは反対の向きはないだろう。

 ただ、球数制限のほうには、「そのやり方でいいのか?」という疑問もないではない。今回は、春の大会でということなので、実験的な要素もあるのだと思うが、夏の大会で取り入れるのは、なかなか難しい、と考えざるを得ない。これは、昨夏、県大会から甲子園を合わせ1517球を投げた金足農高の吉田輝星投手のような状況を作るのはよくないのでは、というところもあっての発想だろうか。

 もちろん、大野倫投手(沖縄水産高、のちダイエーほか)のように、高校時代の投げ過ぎが元で、投手生命を断たれるという悲劇は繰り返すべきではないし、のちのちプロに行けるような才能をつぶさないためにも、「一人の投手が腕が折れようと投げ抜く」という風土はできるだけなくしたほうがいい。が、だからと言って「1人の投手は1試合何球まで」という制限を掛ける、というやり方は、ちっと視点がトッププレーヤーのほうに寄りすぎている気がするのだ。

 上のレベルでやれる投手の才能が、高校時代の投げ過ぎでつぶされるのはもちろんよくない、よくないが、そこに当てはまる選手というのは実は全体の中ではほんのわずかだ。他方、それこそ少子化が進む今、まともにピッチャーができる選手が1人しかいない、というチームだって、少なくはないはずだ。例えば3年生の夏に、そういうチームのエースが「ハイ100球です」と代えられた挙げ句に負けて終わったら、納得できるものなのか……というところもある。

 高校野球はプロに進むような選手だけのものではない。これは現在の野球界の残念な側面でもあるが、「高校までで野球は終わり」として取り組んでいる選手も、実は相当な数に上る。この件については、できるだけ広く現場の意見を聞いた上で、1人でも多くの選手が納得できる方法を模索してもらいたい。

 まあしかし、「選手ファースト」の視点に立った改革自体は、高校野球もどんどん進めていくべき、というのは間違いのないところ。タイブレーク同様、しっかりと数字的根拠を作り、広く現場の意見を聞いて進めていけるのであれば、改革はやれるはず。「甲子園」「高校野球」は、立派な歴史と伝統あってのブランドだが、旧例にこだわって進歩を止める必要はない。

 昨年夏からは熱中症対策で、ゲーム中の給水タイムが取り入れられたが、それでも足をつる選手が続出した。気候が変わってきたのであれば、その対策もまだまだ検討の余地がある。「昔は高校野球って、お盆の炎天下にやってたんだってよ」「エッ、そうなの?」なんて会話が交わされる将来だって、いつか来てもおかしくはない。

文=藤本泰祐 写真=BBM
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