週刊ベースボールONLINE

背番号物語2019

【背番号物語2019】「#3」“栄光の背番号”の系譜に異変あり?

 

背番号は、ある選手が引退しても、またある選手に受け継がれていく。2019年も新たな後継者が誕生した。その歴史を週刊ベースボールONLINEで振り返っていく。

巨人では3人だけ



 巨人で永久欠番となっている「3」。“ミスター”長嶋茂雄のトレードマークであり、象徴的なナンバーだ。現役を引退して監督となった1975年からは「90」を着け、このとき現役時代の「3」が永久欠番に。監督2期目の2000年に背番号を「33」から「3」に“復帰”したときにもファンは熱狂した。

 ただ、長嶋のプロ入り以前から、セネタースで戦後復興の象徴となった“青バット”の大下弘ら、「3」は他のチームでも強打者のナンバーだった。しかし、その伝説の幕開けは、さらに歴史をさかのぼる。メジャーで初めて本格的に背番号が採用されたときに「3」を着けたのが、“世界のホームラン王”ベーブ・ルース(ヤンキースほか)。34年の日米野球で来日したときも「3」で豪打を連発した。

 このとき日本代表に参加していた中島治康が巨人の初代「3」となり、その次の「3」が戦後に着けた千葉茂。その千葉から「3」を譲られたのが長嶋だった。「3」は、巨人の長い歴史において、わずか3人だけだ。

 そして、広島でも87年に連続試合出場のプロ野球記録を更新し、国民栄誉賞も贈られた “鉄人”衣笠祥雄の「3」が永久欠番。13年には長嶋にも国民栄誉賞が贈られ、国民栄誉賞の選手が複数いるのも、複数球団で永久欠番となっているのも「3」のみだ。

【12球団・主な歴代「3」】
巨人 中島治康、千葉茂、長嶋茂雄★

阪神 浅越桂一長崎啓二八木裕関本健太郎(賢太郎)、大山悠輔

中日 国枝利通中利夫(三夫、暁生)、平野謙立浪和義高橋周平

オリックス 石田光彦山下健長池徳二(徳士)、石嶺和彦安達了一

ソフトバンク 樋口正蔵定岡智秋佐々木誠松中信彦松田宣浩

日本ハム 大下弘、富田勝落合博満白井一幸田中賢介

ロッテ 榎本喜八弘田澄男西村徳文サブロー角中勝也

DeNA 藤井勇(秀郎)、箱田淳野口善男高木豊梶谷隆幸

西武 大下弘、土井正博清原和博中島裕之浅村栄斗

広島 辻井弘平山智寺岡孝早瀬方禧、衣笠祥雄★

ヤクルト 箱田弘志(淳)、徳武定之ヒルトンラミレス西浦直亨

楽天 吉岡雄二、ルイーズ、フェルナンデス、マギー、浅村栄斗☆(2019年〜)
(☆は2019年、★は永久欠番)

背負い続ける浅村と“離脱”した松田


楽天・浅村栄斗


 ドラフトで事件となった3人の選手も「3」だ。85年秋のドラフトで涙を流した清原和博は西武で「3」に。78年秋のドラフト、“空白の一日”で巨人へ入団した江川卓も、阪神に籍を置いていたときは「3」だ。古くは69年秋のドラフト指名を拒否して“三角トレード”で大洋を経てヤクルトへ入団する形となった荒川堯も「3」。その後のヤクルトでは長嶋一茂も父と同じ「3」を着けている。

 ちなみに投手では、大洋の平松政次が1年目だけ「3」を着けて、巨人で同じく「3」の長嶋と対決している。平松は少年時代から長嶋の大ファンだったという。

 迎えた19年の「3」は、これまでとは少し違った動きを見せている。西武からFAで楽天へ移籍した浅村栄斗が新天地でも「3」を背負い続ける一方、17年にソフトバンクの「3」となった松田宣浩は、わずか2年で“離脱”。18年シーズン終了とともに平成“唯一”の三冠王となった松中信彦が着けていた「3」は、19年は空席だ。

写真=BBM
週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部が今注目の選手、出来事をお届け

関連情報

みんなのコメント

  • 新着順
  • いいね順

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング