昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 阪神監督は杉下茂に
今回は『1965年11月15日号』。定価は50円だ。
巨人─南海の日本シリーズ開幕。ペナントレースではやや影の薄かった巨人・長嶋茂雄が見せた。
巨人先勝の後、第2戦だった(大阪球場)。先発は巨人が
城之内邦雄、南海が
スタンカだったが、城之内が崩れ、4失点。それでも7回に巨人打線がスタンカに襲い掛かって追いつく。
終盤は巨人が
宮田征典、南海が
三浦清弘の投げ合いで4対4のまま延長10回表に進んだ。
一死後だった。三浦の投げた球が
王貞治の左ヒザへの死球に。しばらく王は起き上がれず、仲間たちに抱きかかえられながらベンチ裏に消えた。
しばらくして戻り、足を引きずりながら一塁へ。走塁が困難であることははっきりしていた。
頭部への死球ではないが、南海がシリーズ前から「王をつぶすなら一本足を狙えばいい」と言っていただけに巨人ベンチは殺気立った。
これで燃えたのが次打者の長嶋だ。王が走る必要のない決勝2ランでチームを勝利に導いた。
順番は逆になったが、10月30日第1戦では巨人・
金田正一、そして南海は火消し役になったはずの
杉浦忠を先発マウンドに送った。
鶴岡一人監督は杉浦先発を3日前に決め、自ら電話で通告したという。
珍しく硬い表情でマウンドに立った金田だが、なんとか期待にこたえ、2失点完投で勝利投手。
試合後「プロ野球選手になった以上、日本選手権の舞台を踏まなくちゃつまらないね。ワシはきょうつくづくそう思ったよ。ワシは幸運な男や」と満面の笑顔で話した。
対して杉浦も好投を見せたが、王に2本の本塁打を浴び、5回3失点で交代となった。
3位に終わった
阪神では唐突の監督交代劇があった。留任と思われていた藤本定義監督が急きょ退任。ヘッドコーチの
杉下茂昇格が発表された。
これは藤本監督から勇退希望が出たため。今後は総監督になるという。
本人の弁は
「別に突拍子もないということではない。私は前々から一軍をひいて、若手を指導したいと思っていました。たまたま杉下が一人前になって。この時期が今年に来たというだけです」
杉下は、
「若さとチームの和で魅力あふれるチームにつくり上げたい。うちの選手はみな完成している。ファンにやじられることのないチームをつくる努力をする」
と語った。ただ、杉下と投手陣の間ではシーズン中に冷戦があり、オフに大型トレードの噂もあった。選手たちの声も必ずしも歓迎ムードではなかった。
東京の永田雅一社長は日本シリーズ前日の10月29日、南海に正式に鶴岡一人監督の譲渡を申し込んだ。
南海の壺田社長は「鶴岡君が行って、東京が強くなるのは結構ですが、そのために南海が弱くなるのは納得できません」と拒否した。
また当時、世の中の証券不況もあってか各球団の経営悪化話が多く、ウワサされていたのが1リーグ制への移行だ。
その中で低迷が続いていた近鉄・佐伯オーナーは「お前のところは弱いからおりろというのでは絶対にやめないが、球界発展のためということで、いい方向があれば近鉄が率先しておりてもいい」と発言。何だか2004年とスタンスが似ている。
では、また月曜に。
<次回に続く>
写真=BBM