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背番号物語2019

【背番号物語2019】「#23」永久欠番は牛若丸、好守好打の野手ナンバー

 

背番号は、ある選手が引退しても、またある選手に受け継がれていく。2019年も新たな後継者が誕生した。その歴史を週刊ベースボールONLINEで振り返っていく。

吉田が唯一の永久欠番



 近年は投手も多くなっているが、芸術的な遊撃守備で“今牛若丸”と呼ばれた阪神の吉田義男が唯一の永久欠番になっていることもあり、守備の名手という印象が強い「23」。実際、内外野を問わず好守の野手は多い。

 だが、その守備にとどまらず、打っても走っても一流という名選手が並んでいるのも特徴だ。守備位置も打者のタイプも多様だが、特に吉田がいた1950年代から60年代にかけては「23」が華やかだった時代。巨人の初代でもある“人間機関車”呉波(呉昌征)、その背番号を継承したのが同じく強肩外野手でもあった“じゃじゃ馬”青田昇、南海“100万ドルの内野陣”で一塁を守った飯田徳治ら、複数チームにまたがって背負い続けた好打者も多い。特に飯田は「23」にこだわり、サンケイと南海でコーチとしても「23」を着けている。

 DeNAの系譜で青田の強打を継承したと言えるのは横浜“マシンガン打線”で四番を務めたローズ。3度のサイクルヒットを達成したスラッガーで、二塁守備も巧みだった。南海で飯田が築いた俊足巧打の系譜に連なるのが、ダイエー時代の村松有人だろう。外野手だが、90年代は足で黄金期を呼び込み、2000年代はバットでも優勝に貢献した。

【12球団・主な歴代「23」】
巨人 呉波(昌征)、青田昇、上田和明脇谷亮太野上亮磨

阪神 原一朗渡辺誠太郎、呉昌征、丸岡武、吉田義男★

中日 桝嘉一木俣達彦川又米利鈴木義広遠藤一星

オリックス 堀尾文人矢野清小川博文北川博敏伏見寅威

ソフトバンク 飯田徳治、堀井和人高柳秀樹、村松有人、城所龍磨

日本ハム 土井垣武津末英明金石昭人二岡智宏渡邉諒

ロッテ 呉昌征、水上善雄佐藤健一(兼伊知)、大塚明酒居知史

DeNA 青田昇、長崎慶一、ローズ、藤田一也、大河(松尾大河)☆

西武 畑隆幸西岡良洋大塚孝二(光二)、許銘傑(ミンチェ)、野田昇吾

広島 松山昇山崎隆造植田幸弘横山竜士薮田和樹

ヤクルト 飯田徳治、酒井圭一青木宣親山田哲人、青木宣親☆

楽天 関川浩一聖澤諒弓削隼人☆(2019年〜)
(☆は2019年、★は永久欠番)

ヤクルトでは青木から山田を経て青木へ


ヤクルト・青木宣親


 63年限りで現役を引退した飯田と入れ替わるように、翌64年に「23」を着けたのが中日の木俣達彦だ。“マサカリ打法”でセ・リーグの捕手として初めて30本塁打を超えるなど強打で鳴らした。その後継者となった関川浩一は楽天で「23」の初代となり、これを受け継いだ聖澤諒も堅実な外野守備を誇った。

「23」から若い番号へ“出世”した選手も少なくない。77年に「23」を着けたのが巨人の松本匡史と広島の山崎隆造。松本は「2」でセ・リーグ最多の76盗塁、「1」の山崎はタイトルこそないが通算盗塁成功率.778という安定感を誇り、“広島機動力野球の申し子”と評された。

 特筆すべきはヤクルト。青木宣親、山田哲人が「23」から「1」に“昇格”。青木がメジャーから復帰して、空席となっていた「23」にも復帰した。ちなみに、吉田の「23」も現役を引退してから欠番が続き、監督を退任した87年に正式な永久欠番となったもの。その吉田も好守だけの選手ではない。55年にはリーグ最多の147安打を放ち、盗塁王も2回。国鉄と巨人で400勝を積み上げた金田正一が最も苦手とした巧打者だ。

写真=BBM
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