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パンチ佐藤の漢の背中!

うどん屋を経営する元Gドライチ横山忠夫氏が第2の人生で吹っ切れた瞬間とは?/パンチ佐藤の漢の背中!「2」

 

『ベースボールマガジン』で連載している「現役を引退してから別のお仕事で頑張っている元プロ野球選手」のもとをパンチさんが訪ね、お話をうかがう連載です。今回は元巨人ドラフト1位で、長嶋茂雄引退試合で最後に登板したことでも知られる横山忠夫さんが母校・立大に近い東京・池袋で経営するうどん屋さんを訪ねました。

コツコツ続けていけば誰かが見ていてくれる


パンチ佐藤(左)、横山忠夫氏


 銀座木屋のうどんだしの特徴は、関西風の薄いだし味を、醤油味が好まれる東京でも受け入れてもらえるよう、アレンジしたもの。横山さんは木屋の味を軸に、『立山』オリジナルの味を生み出した。

 麺は本格的な手打ちうどん。毎日、自家製の麺とつゆの味を確かめ、お客さんがいつ来ても同じ味やのどごしの一品が出せるよう、心を込めて提供する。

パンチ 今もある、あの木屋さんで修業なさったわけですか。

横山 3年間、勤めたよ。1年目は丼とか小皿とか、洗いものから始めて、うどんのこと、包丁の使い方を一から教わった。と同時に接客、丼の上げ下げと表の仕事もしなければならなかった。最初はね、やっぱり自分も一応巨人の選手だったから……。

パンチ そこをお聞きしたかった! そこでつまずく方も多いですよね。

横山 最初の1カ月くらいは、ドキドキしながらやってたよ。お客さんに「横山だ」って言われるんじゃないかって。そうしたらある日、自分が配属になった有楽町の店から新橋の店まで、片道15分程度のお使いに出されたの。具材の入った鍋を届けてくれ、と店長に言われてね。長靴を履いて、白い作業着に白い帽子をかぶって、鍋を持って街なかを歩くわけだ。自分のことを知っている人がいるわけないんだけど、「横山が長靴履いて、鍋持って歩いてるぞ」って見られているんじゃないかって本当、緊張しながらキョロキョロ、周囲を見て歩いてね。だけど店に帰ってきたとき、初めて自分の中で「よし、俺はうどん屋で頑張るぞ」って思えたんだよ。

パンチ 吹っ切れたんですね。

横山 吹っ切れた。自分にはこれしかない。このうどん屋で一生懸命、勤めるぞって思った。

パンチ 吹っ切れたあと、どんなふうにうどん屋さんとしての喜びや楽しさを見つけたのですか。

横山 その3年間でありがたかったのは、まず1年目に有楽町の店で修業させてもらって、2年目には本部に異動し、人の配置や店の損益について教わった。そして3年目、銀座にオープンした本店へ初代の店長として行かせてもらったことだね。

パンチ それはまさにホップステップジャンプですね。その社長さんがそうしてくださったんですか。

横山 田代さんがどういう考えだったかは分からないよ。でも一人前とはいかないまでも、その3年間でだいたいのことをやらせてもらって、おかげさまで独立もできて。

パンチ 引退しても妙なプライドが邪魔をして、それができない人が意外と多いですよね。

横山 もし野球はもう卒業しよう、とケジメをつけたのなら、自分の中で「次はこれを」というものを見つけないとね。最初は大変かもしれないけど、コツコツ続けていけば、どこかに見てくれている人がいるもんだ。佐藤さんだってそうでしょう?

パンチ そのとおりです! そうして開いたお店がもう30年以上続いていらっしゃるわけですよね。

横山 36、37年だね。

パンチ 飲食で5年、10年やるのも大変なのに、それはすごいですね。

横山 俺は商売には向いているほうじゃないと思うの。だけど、人にウソをついたり、人をあざむいたりするのは大嫌いな性格。お客様だって分かるよね。もうけのことだけ考えているとか。そのうち自分のことを信じてくださるお客さんや応援団ができてね。今、ウチのお客さんで『立横会』っていう野球部とゴルフの会があって、その方々がまず固定のお客さん(笑)。こういう商売が長くできるには、そんなお客さんの存在が大きいね。

パンチ それですねえ。横山さん、誰が来ても、変わらないもの(笑)。

横山 お世辞とか言えないし、みんな普通の仲間って感じになってしまうんだよね。それが嫌だって人もいるだろうけど、仕方ないな。でも俺も、最初は純粋にうちのうどんを召し上がってくださるお客さんに来ていただきたいと思って、意固地になってね。野球の話をされても、気のない返事をして遠ざけていたくらい。

愛妻からもらった命。お返しは元気でいること


パンチ佐藤(左)、横山忠夫氏


パンチ じゃあ、初めは今あるような野球の写真なんかは飾っていなかったんですね。

横山 そうそう。商売ってそんなものじゃないと思ってね。そうしたら5年目くらいに立教の後輩が「横山さん、ピッチャー見てくれませんか?」って来てくれた。最初は「俺、商売しているから」って固辞したんだけど、4回、5回と来てくれて、そいつがいいヤツだったんでね。一度行ってみたら、やっぱり野球が好きなんだよ。それから毎年2回、キャンプに教えに行くようになった。そのときも、店自体は休まないよ。それで5年前からOB会の幹事をやらせてもらって、4年前から会長。今は野球を教えるより、OBとして現役を支援したり、OB会を融和したりといったことを中心にやっているよ。一昨年は10年ぶりに優勝してねえ。

パンチ 野球を教えながら、仕事もバランスよくやっていらした。そういったお人柄から、ここをまとめられるのは横山さんしかいないってなったんでしょうね。プロ野球だって、チームとフロントとファンがバランスいいときに優勝できるんです。大学も、そうじゃないですか。野球が強くてもOBがバラバラとか。キレイにまとまっていないと勝てませんよ。

横山 いいこと言うねえ(笑)。一昨年は六大学優勝に続き、大学選手権でも優勝してくれてね。その決勝戦は、長嶋監督と貴賓室で見せていただいたの。大学野球って7回にエールの交換をして、両校校歌を歌うでしょう。失礼かなとも思ったんだけど、「監督、立教の校歌、覚えていらっしゃいますか?」とお聞きしたら、「覚えてるよ」とおっしゃってね。2人で一緒に、大きな声で校歌を歌ったんだよ。あのときは本当にうれしくて、生きていてよかったと思ったね。

パンチ しかし横山さん、だいたいの方は引退して何十年もたってからこうしてお会いすると、「ああ、年を取られたな」と思うんですが、横山さんは姿勢良く、体形も保っていらっしゃる。健康の秘訣はなんですか?

横山 俺、17、18年前から二度、ガンにかかってるんだよ。最初に大腸ガンをやって、1メートル近く切ったんだけど、肝臓に転移してね。それを手術して、これでもう大丈夫と思ったら、ウイルス性の小さなガンがたくさんできていて、「余命3カ月から半年」って言われたの。生体肝移植しか生きる道はないということで、女房の肝臓を3分の2もらって今、こうして元気でいさせてもらってる。

パンチ そうだったんですか。そんな大病を患ったようには、とても見えませんよ。

横山 ウチのヤツに命をもらった以上、もうバカなことはできないからね。現役時代は大酒飲みだったけど、酒は手術以降、一滴も飲んでいないよ。俺は金儲けも上手じゃないし、お返しなんてできないから、せめて元気でいないと。

パンチ そうやって奥さんに感謝しながら、今ご自分ができることは何か、おいしいうどんを提供することと、後輩たちを後押しすること、と。そういう想いが、若々しさを保つ秘訣なんでしょうね。

横山 若々しくはないけど、人ってそういうことで気持ちに張りができるんじゃないかな。プロ野球界は華やかだし、自分の好きなことを仕事にしてお金をもらえるなんて、そうそうない。佐藤さんも俺も、大好きな野球をそれなりに全うできたのは、本当にありがたいことだと思う。でも部長が言ったように、人生そのあとのほうが長いから、地道に生きていかないと。その長い間にはいろんなことがあるけれども、やっぱり「俺は生きていてよかったな」と思えるような人生を、これからプロ入りする人たちには送ってもらいたいな。

パンチ対談後記


 対談最後の横山さんの言葉は、今年ドラフトで新しくプロ野球界に飛び込む選手たちへのメッセージ。最高の言葉だと思います。

 引退後、野球界以外の世界で第二の人生を始める人間は、どこで吹っ切れるか、なんだと思います。一日でも早く吹っ切れた者は、強い!!

 そう、横山さんの場合は長靴を履いて、鍋を運んだときだった。実は、そのお使いも試されていたのかもしれません。そうした姿は、必ず誰かが見ている。誰かに見られている。社長さんは、ちょっと不器用だけど生真面目な横山さんを見ていたんですね。

 人間、やっぱり不器用なくらいがちょうどいいんだと思います。うまくわたっていける人はラクだけど、必ずどこかでカベにぶつかり、脱落してしまう。僕もそうですが、不器用な人ほど一歩一歩、足元を確かめながら進んでいくし、そこに本当の応援団がついてきて、応援してくれる。横山さんのお話をうかがって、それを確信しました。

<完>

●横山忠夫(よこやま・ただお)
よこやま・ただお◎1950年1月4日生まれ、北海道出身。網走南ヶ丘高3年夏に甲子園出場。立大では2年春に早くもエース格となり3年秋に史上16度目のノーヒットノーランを達成。4年時は春秋で11勝(7敗)、特に早大にはすべて完投で4勝無敗だった。ドラフト1位で巨人に72年入団。長嶋茂雄監督となった75年にチームは最下位ながら規定投球回数に達し8勝を挙げた。ロッテを経て78年に引退。その後、都内に「手打ちうどん 立山」(東京都豊島区西池袋3-29-3)を開業。立大関係者、巨人関係者、常連のお客でにぎわっている。現在、立大野球部OB会長を務める。

●パンチ佐藤(ぱんち・さとう)
本名・佐藤和弘。1964年12月3日生まれ。神奈川県出身。武相高、亜大、熊谷組を経てドラフト1位で90年オリックスに入団。94年に登録名をニックネームとして定着していた「パンチ」に変更し、その年限りで現役引退。現在はタレントとして幅広い分野で活躍中。

構成=前田恵 写真=山口高明

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