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谷繁元信コラム

岩瀬仁紀は不思議だけど頼りになる投手/谷繁元信コラム

 

『ベースボールマガジン』で連載している谷繁元信氏のコラム「仮面の告白」。ネット裏からの視点を通して、プロ野球の魅力を広く深く伝えている同氏だが、今回のテーマは昨季限りで現役を引退したかつての仲間、岩瀬仁紀浅尾拓也荒木雅博だ。まずは岩瀬についてつづる。

ユニフォームを脱ぐとすごく優しい


2007年、日本シリーズで胴上げ投手に輝いた岩瀬


 岩瀬仁紀は不思議なピッチャーでした。不思議なんだけど頼りになる。僕が2002年にドラゴンズに行ったときは、まだ抑えではなく、勝ちゲームの7、8回を投げていた。04年から抑えとして一緒にやりましたけど、マウンドで投げているボールを見ると頼りになるピッチャーでした。

 横浜(現DeNA)時代にバッテリーを組んだ佐々木主浩さんとは左右の違いはありましたが、どちらも必殺のウイニングショットをもっていた。佐々木さんがフォークなら岩瀬はスライダーで、空振りも取れれば打ち取ることもできる。技術以上に2人に共通していたのは、ものすごく優しくて思いやりのある性格の持ち主ということです。

 最終回の厳しい場面でマウンドに上がることがほとんどじゃないですか。その中で成績を残すには、メンタル的にやっぱり強い気持ちを持っていないといけない。きつい性格だったとしてもおかしくないですけど、2人ともユニフォームを脱ぐと、すごく優しかったので、そこが不思議なんです。

 岩瀬は色白で、ホント見てのとおりですよ。天然じゃない。ちゃんと自分の状態というのをきちんと把握できているピッチャーでした。

 佐々木さんともそうでしたが、9回に岩瀬がマウンドに上がったときには、あまり余計なことは言わずにアイコンタクトで会話を交わしていました。余計なことを言うと変に気にしそうな雰囲気もあったので、顔色だけ見て、いつもどおりかどうかを確認。今日はちょっと様子がおかしいなと思ったときには、さりげなく「大丈夫?」「どう?」と声をかける。岩瀬も本音で「今日はあまりよくないかもしれませんね」と返してきたときには「分かった」と、いつもと少し違う攻め方をしました。

 ちょっとした異変を感じるのは、年間を通して2割ぐらい。佐々木さんにしても岩瀬にしても人間ですし、毎回ベストな状態で出てくるわけではない。そういう変化を僕が感じられなかったときには、いつもと一緒。サインの確認だけして定位置に戻ってボールを受けにいきました。

普通の精神状態ではなかった


 岩瀬といえば、2007年の日本シリーズ第5戦が印象深いと本人も語っていました。日本一に王手をかけたドラゴンズは8回まで先発の山井大介日本ハム打線を完全試合で抑えながら降板。9回にマウンドへ向かった岩瀬は1対0のリードを守り切って継投による完全試合を達成するとともに、ドラゴンズに日本一をもたらしました。

 山井の降板に関しては、右手の中指のマメがつぶれて、森繁和ピッチングコーチ(当時)から「どうだ?」と。もういいだろう的な感じで、山井はとらえたみたいですね。10人いれば野球観はそれぞれ違うわけですから、いろんな考えがあっていいと思うんですけど、あの場面というのは、僕は交代がベストだったと思います。

 分からないですよ、山井が続投して完全試合でゲームセットになっていたかもしれないし、打たれていたかもしれない。後者の場合、流れが変わって(3勝2敗で)札幌に行かなければいけない。逆転日本一を食らった可能性もあったわけです。

 あれが日本シリーズじゃなくて、シーズン中の試合だったら違ったと思うんですよ。あとは状況。3対0だったら続投という判断もあったでしょう。しかし、1対0。おまけにドラゴンズの日本一は53年ぶりですから、あの場面で判断しなければいけないことを考えると僕自身、代えてくれと思っていました。それは森さんにも伝えました。

 いざマウンドに上がった岩瀬は、普通の精神状態じゃないような感じでしたね。僕はひとこと言ってるんですけど、何を言ったか覚えてないんですよ。僕自身も興奮していたのか? というより、岩瀬をいつもの状態にさせなければいけないと思ったんです。

 岩瀬もきつかったと思いますよ、あの状況で出ていって3人で打ち取って日本一になるというのは。それだけの技術、精神的な強さがあったということでしょうね。

写真=BBM

●谷繁元信(たにしげ・もとのぶ)
1970年生まれ。江の川高校(現・石見智翠館)にて甲子園に出場し、卒業後、ドラフト1位で横浜大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)に入団。98年にはベストナイン、ゴールデングラブ賞、最優秀バッテリー賞を獲得しチームの日本一に大きく貢献。2002年に中日ドラゴンズに移籍。2006年WBC日本代表に選出され、2013年2000本安打を達成。2014年シーズンから選手兼監督になり、2016年現役引退を表明。通算3021試合出場、27シーズン連続安打、同本塁打を達成(いずれもNPB歴代最高)。2016年に中日ドラゴンズを退任後は、各種メディアで評論家、解説者として活動を行う。著書に『谷繁流キャッチャー思考』(日本文芸社)。
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