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谷繁元信コラム

一番多く首を振った浅尾拓也は直感型の不思議ちゃん/谷繁元信コラム

 

『ベースボールマガジン』で連載している谷繁元信氏のコラム「仮面の告白」。ネット裏からの視点を通して、プロ野球の魅力を広く深く伝えている同氏だが、今回のテーマは昨季限りで現役を引退したかつての仲間、岩瀬仁紀浅尾拓也荒木雅博だ。ここでは浅尾についてつづる。

直感型、野生の勘


リーグ優勝を決め、抱きついて喜び合う谷繁氏(左)と浅尾


 2008年には浅尾拓也が岩瀬仁紀につなぐセットアッパーとして頭角を現してきました。彼もどちらかというと不思議なタイプでしたね。いままでで一番多く首を振られたピッチャーだと思うんですよね、僕は。

 基本的に、僕はピッチャーの投げたいボールを投げさせるというスタンス。配球を組み立てていく中で、その場その場で一番適切だと思う球種を要求して、首を振られたら次のボール、また振られたら次と準備はしています。そうやって自分の中で順位付けしている球種のサインを出していくんです。

 浅尾の場合は真っすぐ、フォーク、スライダーの順。僕が一番選ばない最後の球種を、彼は選ぶ傾向が結構強かった。僕の中では「ここで真っすぐ行っとけば、あとあと楽になるのにな」という場面でもスライダー、フォークを投げたがっていましたね。それでも球の力があったし、自分の意志というのも球にこもっていたので打たれた記憶はそんなにないんですけど、所々で打たれるんです。そうすると、後から「あれ、まずかったですかね」と言ってくる。「こうこうこうだから、このサインを出したんだけど」と意図を説明しましたけどね。

 当時は彼もまだ若かったですけど、先輩キャッチャーに言われるまま投げるんじゃなくて、自分の頭で主体的にモノを考えていたのか。それが分からないんです、あいつの場合だけは(笑)。その時々のインスピレーションというか直感型、野生の勘なんですよ。そこが「不思議ちゃん」の所以。ちょっと枠を外れた考えのピッチャーという印象はありました。

 実働10年、太くて短いプロ野球人生というイメージもあるかもしれませんが、本人に聞いたらスッキリしてました。ただ、最後の何年間かは苦しかったでしょうね。なかなか自分を変えられなかったというか、全盛期の自分を追い求めすぎた。

 岩瀬もそうですが息の長いピッチャーというのは、マイナーチェンジを少しずつ繰り返していくんですよ。それがなかなかできなかったピッチャーですよね、浅尾は。体格的にもそんなにガッチリしているピッチャーでもなかったので、肉体もかなり悲鳴を上げていたんでしょうね。

7回まで頑張ればいい


 それにしても、当時のドラゴンズは岩瀬と浅尾がいたわけですから中継ぎは6、7回を4人ぐらいでまかなえば8、9回は抑えて勝てると、みんな思っていました。先発陣も7回まで頑張ればいい。

 横浜時代には巨人の当時の監督だった長嶋茂雄さんが「佐々木が出てくるから横浜とは8回までが勝負」とおっしゃっていましたけど、当時のドラゴンズはさらに1イニング早かった。それぐらい岩瀬と浅尾の存在というのは大きかったです。

写真=BBM

●谷繁元信(たにしげ・もとのぶ)
1970年生まれ。江の川高校(現・石見智翠館)にて甲子園に出場し、卒業後、ドラフト1位で横浜大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)に入団。98年にはベストナイン、ゴールデングラブ賞、最優秀バッテリー賞を獲得しチームの日本一に大きく貢献。2002年に中日ドラゴンズに移籍。2006年WBC日本代表に選出され、2013年2000本安打を達成。2014年シーズンから選手兼監督になり、2016年現役引退を表明。通算3021試合出場、27シーズン連続安打、同本塁打を達成(いずれもNPB歴代最高)。2016年に中日ドラゴンズを退任後は、各種メディアで評論家、解説者として活動を行う。著書に『谷繁流キャッチャー思考』(日本文芸社)。
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