昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 ドラフト1位の明暗
今回は『1966年2月21日号』。定価は60円だ。
失礼した。公募の記事などを紹介していたサン
ケイの新ニックネームだが、いきなり「アトムズにかける七つの威力」という記事があり、読み直すと、前の号から球団情報のページの表記がATOMSになっていた。
ただ、決定の経緯などの記事はなし。いきなり後日談のようになってしまい、すっきりしないかもしれないが、ご了承いただきたい。
由来はもちろん十万馬力の人気マンガ「鉄腕アトム」だ(手塚治虫作。フジテレビでアニメを放映していた)。この記事のタイトルにある七つの威力も、アトムが七つの力を持っているという設定からである。
当時は、読売新聞のキャンペーンなどもあり、原子力イ
コール明るい未来だった。
喜んだのは、子どもたちだ。「今度はアトムズが優勝するんでしょ」と父親に質問する子も多かったという。水野オーナーも自主トレ初日(第一次キャンプという表記もあった)の
大和証券球場に行って、
「純真な少年ファンの夢を壊さないよう諸君らは頑張らないと」
と選手たちにあいさつ。だが、名前で強くなったら苦労しない……。
ドラフト1期生が続々始動。評判がいいのは東京のドラフト2位・
木樽正明。大学進学希望で交渉が難航したが、ついに口説き落とした(初出より修正。すいません)。
永田雅一オーナーは「顔がええじゃないか。この顔なら映画にも使えるぞ。こりゃ気をつけないといけないな、もてるから。野球選手にゃもったいない」と上機嫌。
兼任コーチとなった
小山正明も
「まずは体をつくることが第一だが、こりゃ近年にない大物になるぜ」
と大絶賛する。この後、3年連続となるハワイ・キャンプのメンバーにも選ばれ、2月4日に出発した。
一方、大洋のドラフト1位・岡正光は初日から練習に参加したが、完全にヒジが壊れており、ピッチングどころか、まともにキャッチボールもできない状態だった。
岡のヒジが壊れているのは、各球団のスカウトが知っていた。ただ、大洋は岡がヒジの故障を抱えながらも投げていたことで、大した故障ではない、と判断。指名に踏み切ったらしい。
新人ではないが、大洋のキャンプには再起の燃える男の姿もあった。
阪神をクビになった
中井悦雄である。63年終盤3試合連続完封で注目を集めた右腕だったが、交通事故で右肩を痛め、失速。65年限りで自由契約となった。
1月21日から14日間、テスト生として必死に頑張ったが、結局不採用。
「プロは厳しく、冷たいところです」
と、ぽつり言い残して去った。
大阪で野球賭博の一団がつかまったというニュースもあった。山口組幹部で
中日、大阪、
広島で手広くやっていた。総額は2億円にのぼるという。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM