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プロ野球1980年代の名選手

藤本修二 空前の猫ブーム。かつて南海にいた“ニャンコ”と呼ばれた右腕/プロ野球1980年代の名選手

 

1980年代。巨人戦テレビ中継が歴代最高を叩き出し、ライバルの阪神はフィーバーに沸き、一方のパ・リーグも西武を中心に新たな時代へと突入しつつあった。時代も昭和から平成へ。激動の時代でもあったが、底抜けに明るい時代でもあった。そんな華やかな10年間に活躍した名選手たちを振り返っていく。

猫に噛まれて南海のエースに成長?


南海・藤本修二


 きょう2月22日は猫の日。近年は空前の猫ブームなのだそうだが、1980年代のプロ野球界で“ニャンコ”と呼ばれてファンに親しまれていたのが南海の藤本修二だ。ただ、その由来は、猫が好きとか猫に似ているとかではなく、いささか因縁めいている。

 プロ2年目となる84年2月13日、キャンプ中のことだ。まだ一軍経験のない若き右腕が、宿舎の近くにいた猫に餌をあげようとしたところ、あろうことか、猫が恩を仇で返してくる。これから商売道具となるであろう心やさしき右腕の人さし指を、猫がガブッ。相場では、犬が噛むもので、猫は引っかくものだと思うのだが、あまり猫の生態に詳しくないので厳密には分からないのだけれど、猫に噛まれるという珍しい(?)経験により、投球練習を1週間も禁止されてしまった。それだけではない。これで“ニャンコ”と呼ばれるようになり、そのニックネームは一気に浸透。ありがたくない“名前先行”となってしまった。

 だが、その猫は、恩を仇で返したように見えて、もしかしたら“招き猫”だったのかもしれない。そのニックネームにプライドを傷つけられ、発奮。4月21日の阪急戦(西宮)で初登板初先発の一軍デビューを果たすと、制球が乱れた6回裏に1点を奪われたのみで好投を続ける。9回裏に2連打を許して降板したが、金城基泰の好リリーフもあってプロ初勝利。以降7勝を挙げて、先発の一角へと食い込んでいった。

 しかし、翌85年はリーグ最多の3完封を含む8勝も、リーグ最多の17敗。続く86年には4月5日の西武戦(西武)でシーズン初勝利を挙げるも、9回裏二死から清原和博にプロ初本塁打を許すと、2失点完投勝利ながらゲーム後には清原のことばかりを尋ねられて、噛ませ犬ならぬ“噛ませニャンコ”に。すると、その86年に初の2ケタ10勝に到達。低迷に沈み続けていた南海で、着実に進化を続けていった。

 時に制球ミスもあったが、左手を大きく振り上げる豪快なフォームから、ストレートを軸に、大きなカーブ、シュートでケレン味なく勝負した。圧巻は87年。4月23日の西武戦(平和台)でキャリア初の無四球完投勝利。このときスパイクについた土をつけたまま、29日の西武戦(大阪)では完封勝利を挙げた。

 6月12日の西武戦(西武)では、8回裏にライナーを左側頭部に受けて昏倒するハプニングもあったが、19日のロッテ戦(川崎)では復活の完投勝利。7月21日の日本ハム戦(大阪)ではシーズン3度目の完封、4度目の無四球完投でパ・リーグ10勝に一番乗り。最終的には最多勝こそ逃したものの、優勝した西武からの5勝を含む15勝を挙げて、エースの座に名乗りを上げる。

南海からダイエーとなって急失速


 走者を出しても連打されないように気をつけて、本塁さえ踏ませないようにすればいいと考えたことが、粘り強さを生んだ。そして、バッテリーを組んだ吉田博之を強く信頼。

「何も考えず、吉田さんのサインどおりに投げる。吉田さんの頭の中が狂わん限り、僕のピッチングも狂いませんよ」

 そして、南海ラストイヤーの88年にも10勝を挙げて、3年連続2ケタ勝利。猫に噛まれて有名となり、清原に打たれて騒がれるなど、ちょっとした“悲運”の印象も強い右腕だったが、南海がダイエーとなった89年、悲運の色が急激に濃くなっていく。

 88年に痛めた右足内転筋の故障が悪化、自分の投球ができなくなっていった。90年は1勝7敗、91年に5対4の大型トレードで阪神へ移籍して30試合に登板するも、勝ち星なしで5連敗。ついに92年は一軍登板なしに終わる。

 93年には西武へ。リリーフで1勝を挙げてヤクルトとの日本シリーズでも登板、翌94年にもリリーフで1勝を挙げたが、これが最後の勝ち星となる。そして、一軍登板なしに終わった95年オフに現役を引退した。

 活躍できた期間は長くなかったが、その期間は南海の歴史が終わろうとしていた時期と重なる。南海ファンには、忘れ得ぬ右腕だ。

写真=BBM

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週刊ベースボール編集部

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