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パンチ佐藤の漢の背中!

元日本ハム・嶋田信敏氏、引退後の紆余曲折の人生/パンチ佐藤の漢の背中!「1」

 

『ベースボールマガジン』で連載している「現役を引退してから別のお仕事で頑張っている元プロ野球選手」のもとをパンチさんが訪ね、お話をうかがう連載です。今回は日本ハムの外野守備の名手だった嶋田信敏さんがゲスト。東京・赤坂見附の「歌と野球を愛するカラオケスナックUTANOB」にうかがいました。

チヤホヤされた記憶を一度振り払おうと……


嶋田信敏氏(左)、パンチ佐藤


 1990年6月6日、東京ドームで行われた日本ハム―近鉄戦でのことだった。4回表、近鉄・ブライアントが日本ハムの先発・角盈男の4球目をフルスイング。打球は東京ドームの天井目掛けて高々と上がり、天井に吊り下げられたスピーカーを直撃した(記録は認定ホームラン)。そのときのセンターが、嶋田信敏さんだった。

「あのときはセカンドの森範行と、“え? どうするんだ?”って顔を見合わせてね。だって、あんなところに打球をぶつける選手なんて、いなかったじゃない。それが一番の思い出」

 名手らしく、外野守備のワンシーンが、真っ先に飛び出した。

パンチ 外野を守る嶋田さんのシルエットは、とにかくスラッとして格好よかったイメージがありますね。

嶋田 ガリガリだったからねえ(笑)。覚えてる? あるとき、試合前にパーっと俺のところに来て、「嶋田さん、外野守備の極意を教えてください!」って言ったの(笑)。

パンチ ……。

嶋田 「なんで? あなたのチーム(オリックス)には、山森(山森雅文)っていう野球殿堂級の選手がいるじゃない」って言ったら、「その山森さんに“聞いてこい”って言われました」って。「じゃあ、山森は何が極意って言ってた?」と聞いたら、「“打球の音を聞け”と言われました」と。でも俺、あのときなんて答えたか覚えてないんだよ。

パンチ いや、僕も……。

嶋田 覚えてないよね(笑)。

パンチ はい……(苦笑)。嶋田さん、僕と同じ94年に引退していらっしゃるんですね。そのあと、コーチとして球団に残られて。

嶋田 2年間、二軍で外野守備走塁コーチをしていたの。口数が多いもんで、クビになっちゃった(笑)。

パンチ そうなんですか?(笑)

嶋田 まあ、ちょっと厳しくやりすぎたかなと思う。

パンチ コーチの難しさは、どんなところにありましたか?

嶋田 二軍は、育てて一軍に上げなきゃいけないでしょう。で、あとの話だけど一軍になると、育てる部分は半分以下で、やっぱりケガをさせちゃいけない、いいリズムでゲームに持って行ってあげなきゃいけないところが、すごく難しかったですね。

パンチ 36歳で、球界を一度離れることになった。どんなふうに感じ、実際どう求職活動をなさったのですか。

嶋田 僕は18歳でプロの世界に入ったから、18年あの世界にいたことになる。人生の半分、プロ野球界にいたんですよね。36歳でクビになって、いざ周りを見たら、サラリーマンになった連中がバリバリ働いて、そこそこ偉くなり始めている。一方、僕は一度ゼロになってしまったわけでね。

パンチ それは感じるものがありますよね。そこでどうしよう、と?

嶋田 どうしようかなと思ったときに、これは自分がプロ野球界にいたこと、それでちやほやされたこと、そういうものを一度振り払わなきゃいけないと思って。

パンチ ああ、分かります。そういう気持ちが大切なんですよね。

嶋田 川崎でこぢんまりとスナックをやっていた友達に「バイトさせてくれないか」って頼んで、クビになった翌日から、そこに行ったの。友達は俺に女性のお客さんを付けようと思ったらしいんだけど、実際俺に付いたのは男性の、野球好きな人ばかり。でも、ありがたかった。その中に、ソニー生命に勤めている人がいてね。

パンチ 僕、この対談で元大洋の市川(市川和正)さんにお話をうかがいましたよ!

嶋田 そうそう。市川さんと、あと同じ大洋にいた大門(大門和彦)も活躍しているって。で、ある日カウンター越しに話をしていた中で、「仕事探しているなら、ウチの会社の話、聞いてみませんか」と言われてね。話を聞いて、翌年の1月1日付で入社しちゃった。

パンチ このトシになると分かってくるんですけど、「昔の人の言うことって、本当だな」って。一生懸命、きちんとやっていると、必ず声が掛かるんですよね。

日本ハム・大島新監督から「一緒にやるぞ」と直電


現役時代は外野の守備固めや代走など日本ハムに欠かせない名バイプレーヤーだった


パンチ 生保の営業はどうでした?

嶋田 中には「嶋田さん、野球やっていたんだよね。野球の話、しに来てよ」とおっしゃって、野球の話をし終わると、最後に「じゃあ、保険に入るよ」って言ってくださる社長さんもいたんだけど。俺ね、こう見えて結構、真面目なほうだから……。

パンチ それはもう、分かりますよ。

嶋田(笑)。保険は、ちゃんと相手の家計だとか、そういったところを考えて提案しないと。あまりにも儲け主義で走りすぎると、成り立たない。

パンチ そこは、あちらも分かりますよね。勉強してねえなとか、とにかく数を稼ごうとしてるな、とか。

嶋田 俺ね、人と仲良くなるのは得意だったから。難しい仕事になると、隣の席にいた頭のいいヤツを連れて行って、「じゃあ、コミッションは半々で」ってスタイルで仕事をしていたの。

パンチ 頭いいですね! やはり専門の方には勝てないですもんね。

嶋田 勝てない。法人契約となると、特に難しいから。今、そいつは偉くなって、支社長なんだよ。

パンチ そこは嶋田さんの目も確かだったってことですね。

嶋田 今もつながりがあって、この店にもチョコチョコ来てくれるんだ。

パンチ お聞きすると、ソニー生命でも順調に仕事していらしたじゃないですか。なぜまた1年契約のプロの世界に戻られたんですか?

嶋田(2000年に日本ハムの新監督に就任した)大島(大島康徳)さんが、わざわざ電話してきてくれたんだよ。「このたびはおめでとうございます」って言ったら、「その件なんだけど。おまえ、来年、一緒にやるから」(笑)。「え? ちょっと待ってください」「お前、その保険屋、ちょっと休業せえ」「いや、いろいろ相談しないと……」「馬鹿野郎!」って(笑)。

パンチ 大島節ですねえ(笑)。

嶋田 あの調子だからね。「一晩考えさせてくれとか言ったら、ぶっ飛ばすぞ」だって(笑)。でも、さすがに「明日お返事します」と電話を切って、すぐ所長に相談したよ。

パンチ 所長には止められませんでしたか?

嶋田 所長には「一軍のコーチ? 二軍のコーチ?」って聞かれてね。「一軍です」と答えたら、「だったら信ちゃん、行ったほうがいい」。

パンチ うわあ、いい方ですね。

嶋田 「二軍だったら、ウチにいなさいって言おうとした」と。

パンチ いいことおっしゃいますね。でもね、嶋田さん。ソニー生命に誘ってくださった方、その所長さん、大島さん……嶋田さんが真面目に、素直に生きてこられたから、いろんな人にかわいがってもらえるんだと僕は思いますよ。

嶋田 そうなのかなあ……。ただ、自慢話をするわけじゃないけど、僕はテスト入団だったから。テスト生が16年も現役をやらせてもらえて、コーチとしてまで球界に残れるなんて、想像もしなかったよね。

パンチ え? 嶋田さん、テスト入団だったんですか!?

嶋田 そうよ。実はその前に巨人のテストを受けたんだけど、二次で落とされて。新聞で日本ハムのテストを見つけて、行ったら合格した。寒風吹きすさぶ多摩川のバックネット裏で仮契約をして帰ってきたのは、今もよく覚えてるよ。それで今なお、こうしてご飯を食べさせてもらってね。これまで歩んできた道は正しかったんだ。日本ハムに入ってよかったんだなって思うよ。

<「2」へ続く>

●嶋田信敏(しまだ・のぶとし)
1960年4月9日生まれ、神奈川県出身。日大藤沢高から79年ドラフト外で日本ハムに入団。好守の外野手として80年代後半から頭角を現し、90年には113試合に出場し、打率.262の成績を残す。94年限りで現役引退。通算成績は678試合、198安打(打率.243)、14本塁打、84打点。引退後は日本ハムの二軍コーチから会社員、一軍コーチ、高千穂大学監督代行を経て、現在は東京・赤坂見附で「歌と野球を愛するカラオケスナックUTANOB」のマスターを務める。

●パンチ佐藤(ぱんち・さとう)
本名・佐藤和弘。1964年12月3日生まれ。神奈川県出身。武相高、亜大、熊谷組を経てドラフト1位で90年オリックスに入団。94年に登録名をニックネームとして定着していた「パンチ」に変更し、その年限りで現役引退。現在はタレントとして幅広い分野で活躍中。

構成=前田恵 写真=山口高明
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