週刊ベースボールONLINE

2019センバツ

【センバツ】28年前、イチローが鈴木一朗だった時代の聖地での記憶

 

甲子園で見せた意気込み


1991年春のセンバツ。イチローは愛工大名電高の「四番・エース」として甲子園のマウンドに上がっている


 センバツ高校野球が開幕したが、どうも、あの衝撃的な出来事が頭から離れない。興奮状態にある。つまり、早くも「イチローロス」に陥っているのだ。3月21日の開会式のスピーチにおいても、過去の大会を彩った一人として、マリナーズ・イチローの名前が複数回出た。言うまでもなく、影響力の強い超スーパースターの現役引退だった。

 そこで、28年前の記憶がよみがえった。5打数無安打。信じられない数字である。

 鈴木一朗は愛工大名電高時代、2度の甲子園に出場。2年夏は同大会で優勝する天理高(奈良)との初戦に「三番・左翼」で先発して4打数1安打。チームは1対6で敗退している。

 2季連続出場となった3年春のセンバツは1991年である。「四番・エース」として全国舞台に戻ってきたが、準優勝する松商学園高(長野)との初戦で2対3。イチローは5打数ノーヒットと精彩を欠いた。のちに、周囲の関係者に「甲子園に良い思い出はない」と語っているが、夢舞台では苦い経験を味わっている。

 もちろん、チームの勝利が大前提であるが、プロ入りを目指していたイチローにとって、甲子園はスカウトへのアピールの場だった。

 前年夏も勝利の校歌を歌えなかったことから、同春にかける意気込みは半端ではなかった。いつも試合前は、誰も寄せ付けないほどオーラを放ち、集中力を高めていたという。センバツ初戦は第1試合。チームの起床時間は朝4時に設定されていたが、倉野光生コーチ(現監督)によると、イチローは2時から単身でウォーミングアップを始め、4時の段階ではベストコンディションに整えていたという。

 ほぼ不眠で、球場入り前からテンションは最高潮に達していたのだ。イチローも高校生。あまりの責任感の強さが、空回りしてしまった。ある関係者によると、打席では気持ちばかりが先走って、本来はグッと我慢しなければならない右肩が、かなり開いていたという。いつもの打撃を披露できなかったのだ。

三輪田スカウトの“ひらめき”


 28年前の春、鈴木一朗を甲子園のスタンドで視察した広島苑田聡彦氏(現スカウト統括部長)の評価は、決して高いものではなかったという。とはいえ、対象選手の評価は1試合で「最終ジャッジ」を下すものではない。日々の取り組み、大会へ至るまでの数多くの過程があるからだ。そこで、こう明かす。

「投手とは、ブルペンとおりにはいかないものなので、試合を見れば(素材は)分かるものですが、野手は練習を見ないといけない。そういう意味で、三輪田さんには『ひらめき』があったんでしょう。甲子園では走り打ちが目立ちましたが、自分のグラウンドではしっかりと振っていたそうです。高校当時、イチローはあまり人前で練習することはなかったそうですが、結果的に『練習を見たもの勝ち!』です。あとは、本人の努力でしかない」

 イチローの甲子園通算は9打数1安打。のちに世界が誇るヒットメーカーからすれば、信じ難い数字だ。しかし、当時のオリックスの担当スカウト・三輪田勝利氏はイチローの素材に惚れ込んでいたという。ドラフト4位。仮に甲子園で目立っていれば、この順位はなかったに違いない。中位から下位指名はスカウトの眼力で、最大の腕の見せどころなのだ。

 今春もNPB12球団のスカウト陣が甲子園ネット裏に集結した。高校生は一般的に「将来性」と言われており、秘めたる素材に目を光らせる。32校の出場校の中から今後、世界を驚かせるプレーヤーの発掘に期待したい。

文=岡本朋祐 写真=BBM
週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部が今注目の選手、出来事をお届け

関連情報

みんなのコメント

  • 新着順
  • いいね順

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング