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プロ野球回顧録

金村義明が語るR.デービス「悪役にされたが、チームのための行動だった」

 

いまはなき近鉄バファローズの歴代外国人は、そのチームカラーを反映するように、個性あふれる実力派が多かった。なかでも強烈だったのが、80年代のドン・マネーリチャード・デービスラルフ・ブライアントという系譜。彼らとチームメートだった金村義明氏が当時の記憶を語った。

留置所からのメッセージ


86年6月13日、西武球場で西武・東尾を殴打したデービス


 1984年、マネーが去った後、球団が穴埋めとして獲得したのがデービス。勝負強かったですね。チャンスになると踏み込んでいくバッターでした。

 86年に東尾(修)さんを殴った“事件”は、チームのための行動だったと僕は思っています。というのも、その試合、“北海の白熊”と称されたスラッガーの鈴木貴久がスライダーをバックスクリーンに放り込んだ。次の打席では「絶対に頭(を狙って)くるぞ」とベンチで言ってたら、本当に後頭部を狙ってきた。貴久も来るのが分かっていたから逃げましたけど、頭はまずいですよね。にもかかわらず東尾さんは「ケンカ投法」と言われるだけあって平然。それを見たデービスが「俺がやってやる」と言って行ってくれたというのが本当のところなんです。

 ああ見えてデービスは、チームメート思いの男気にあふれた人間でした。大阪―東京間の移動中には、当時の新幹線には食堂車があったんですけど、デービスがアルコールを全部買い占めて、ナインにふるまってくれたりね。

 乱闘事件の1カ月前には、凡打したことに腹を立ててベンチに置いていたアイスボックスの蓋を左手で叩き割って流血、そのまま防災病院に行って12針を縫う大ケガ。「これは俺の責任だ」と深く反省して、左手を包帯でがちがちに固めて試合に出ていました。

 東尾さんをボコボコにしたことで世間的には悪役にされましたけど、あの報復はプロとしては当然の行為。まあ黄金時代の西武と近鉄の戦いといのは殺伐としていましたよ。僕が若いときには乱闘騒ぎなんて日常茶飯事でした。

 一方で、そのころからデービスに奇行が目立つようになってきたのもまた事実です。

 大阪球場のデーゲームでは一塁を守っていたんですけど、通訳を通して当時の岡本(伊三美)監督に「俺を出していたら試合に負けるぞ」とワケの分からんことを言いだした。「きょうは(内野ゴロの送球をキャッチする際に)ボールが見えないから帰っていいか」。岡本監督もあきれ返って「もう帰れ!」とサジを投げてしまいました。

 いずれにしてもデービスには兄貴分的な一面があっただけに、88年に逮捕されたときにはショックでしたね。大麻と吸引パイプが発見された。球場には公安警察が来て、僕のロッカーまで調べられましたからね。デービスが住んでいたのは一軒屋で、自宅で大麻と吸引パイプが発見。どおりで気が荒くて目が血走っていたと、そのとき初めて気づいた次第です。
 
 所轄の神戸水上警察署にブチ込まれたデービスを訪れた通訳には、「カネムラに伝言しておいてくれ。ここで俺は腕立てと腹筋をやって、出所したらすぐに打つから」と伝えたようです。でも、球団は即解雇。結局、二度とグラウンドに戻ることなくアメリカに強制送還させられましたけどね。

写真=BBM
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