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スージー鈴木の「いとしのマリンスタジアム音楽」ベスト5

 

現在、オリオンズ、マリーンズの歴史をまとめた『1950-2019ロッテ70年史』が発売中だ。その中でロッテを愛してやまない野球音楽評論家・スージー鈴木氏が、数ある「マリンスタジアム音楽」の中から、厳選したベスト5をマリーンズへの想いとともに紹介しているが、同企画をここに公開する。

多くのファンが詰めかける千葉マリンスタジアム


 平成が始まってすぐに、ロッテ球団が千葉に来てマリーンズと名乗り、その後すぐに、私はマリーンズのファンとなった。足繁くマリンスタジアムに足を運び、応援団が奏でる音楽、スピーカーから響き渡る音楽に、耳を澄ませ続けてきた。

 その後、『週刊ベースボール』で野球音楽を紹介する連載コラムを開始。連載はこの4月で18年間続いていて、今年初めには、その連載を1冊にまとめた書籍『いとしのベースボール・ミュージック』(リットーミュージック)が発売となった。

 今回は、その書籍に掲載されたコラムも引用しながら、マリーンズファンの野球音楽評論家が選んだ「マリンスタジアム音楽」ベスト5をご紹介していきたいと思う。

第5位 ゆず『栄光の架橋』


“つなぎの四番”サブロー


 平成マリーンズの最高のシーズンと言えば、日本一となった2005年だった。シーズン2位からプレーオフの第2ステージでホークスを撃破し、日本シリーズへ。そしてシリーズでは阪神を4タテ。圧倒的な強さでマリーンズが日本一に輝いたあのシーズン。

『いとしのベースボール・ミュージック』に掲載された当時のコラムで、私はこう書いた。

――“コバヤシヒロユキっていう投手、カッコよくない?”そんな女子高生の会話を電車の中で、私は確かに聞いた。“ゴリラみたいな顔したイマエ、シバかなあかんな”大阪ミナミの飲み屋ではこんな会話が交わされただろう。

 この曲は、その年「つなぎの四番」に座ったサブローの出囃子。印象に残るのは、出囃子が鳴り止んだ後、応援団が、その出囃子を歌い継ぐ形で、この曲のサビ=「♪えいこーのー」を叫んでいた瞬間である。

 その歌い継ぐ感じは、あの奇跡のような1年、元気で若々しく躍動的なナインが駆け回った05年シーズンが終わらないでほしいという想いとリンクしていた。

第4位 清田育宏応援歌『全力の空へ』


2010年にデビューした清田


 05年に続いて、同じくマリーンズが日本一となった10年にデビュー、ブレークした清田育宏の応援歌。

「マリンスタジアム音楽」の核は、応援団による選手応援歌である。選手応援歌の音楽性・創造性についてマリーンズは、冷静に見ても、いまだに12球団ナンバーワンだと思う。

 清田育宏の応援歌の特徴は「転調」をすることだ。「転調」とは曲の中でキー(調)を変えること。当時のコラムより引用。

――清田の応援歌に話を戻せば、歌詞“♪ラーラララー”のところで転調している(キーがC→E♭)。応援歌の転調なんて相当にレアだ。何が言いたいかと言うと、千葉ロッテの応援歌が音楽的に非常に豊かだということ。

 初めて聴いてから10年近く経つが、それでもこの曲を聴くと、いまだにワクワクする。名曲は決して古くならない。ということは、清田育宏もまだまだ老いてはいられないということだ。

第3位 『マリンに集う我ら』


2010年日本シリーズの千葉マリン


「下剋上日本一」に輝いた10年は「マリンスタジアム音楽」にとっても意義深い年だった。というのは、前年に一部応援団が行き過ぎた行動を起こし、応援団の体制が一新。再招聘されたジントシオの下、応援歌も一新された年だからだ。

 そんな「新体制マリンスタジアム音楽」の最高傑作がこの曲だと思う。音楽的・具体的に説明すれば、歌詞「♪千葉マリンに集う我らと 波の彼方 同じ夢を誓う」の「おなじゆめ」の「な」の「ソ#」の音がエモい。また「♪この海風受けて戦え」の「海風受け」の2拍3連リズムはさらにエモい。

 個人的には『ウィ・ラブ・マリーンズ』よりも、こちらを公式応援歌にすればいいとさえ思っているのだが。

第2位 『俺たちの誇り』


98年の連敗中は厳しい横断幕が掲げられることもあったが……


 とは言え、1998年の18連敗は忘れることができない。あのときにファンとファン、ファンと球団をつないだ曲がこの曲。原曲はゲーム『ドラゴンクエスト』から。元ロッテ球団職員の横山健一氏は語る。

――98年、プロ野球記録となる18連敗中のことです。連敗が大きく伸びた、ある日。大勢のファンが千葉マリンを取り巻き、大きな声を上げていました。暴動か、と近藤昭仁監督は怖がって球場を出ようとしない。私が「大丈夫ですよ」と送り出すと、ファンは拍手で迎え、こんな歌を歌っていました。<歌詞>俺たちの誇り 千葉マリーンズ どんな時も俺たちがついてるぜ(日刊スポーツ19年3月29日)

 私はこのころ、すでにマリーンズのファンとなっていたのだが、当時この話を聞いて「マリーンズはやっと千葉の球団になったのだなぁ」と思ったものだ。そして「音楽が添え物ではなく、ファンの真ん中で機能する球団になった」とも。

第1位 福浦和也(旧)応援歌


存在自体がマリンの象徴となっていく福浦


 いよいよ1位は、いよいよマニアックで、かつての福浦和也の応援歌だ=「♪俺らは叫ぶ 打て福浦(打て福浦) 声援受けて 打て福浦(打て福浦)」

 弱くて強くて、でも弱かった平成初期マリーンズを応援していた人たちには忘れられないメロディーだと思う。

 あの応援歌の独特のメロディーは『ヘビョンウロカヨ』という韓国歌謡を基にしたものだった。しかしその韓国歌謡には、実に謎めいた背景があった。07年のコラムで引用した文章。

――アストロジェットという日本のGSバンドが1968年に韓国の音楽祭に出演。その際、自作の「浜辺に行こう」という曲を韓国語訳で歌い、それを聴いた韓国のバンドが同曲を1969年にレコード化したら大ヒット。そのタイトルは、「ヘビョンウロカヨ」(『日本ロック紀GS編コンプリート』(シンコーミュージック)

 と、日本と韓国を股にかけた、実に謎な出自の曲なのだが、さらに驚くべきは、そういう謎な曲を見つけ、そして引用した、当時の応援団の冴えたセンスである。

 そう、「マリンスタジアム音楽」には冴えた音楽センスが横溢している。マリーンズは12球団一、冴えた音楽センスに恵まれた球団なのである。

写真=BBM
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