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プロ野球1980年代の名勝負

70年代の面影を残す“赤き対決”は広島が雪辱(1984年10月22日、広島×阪急)/プロ野球1980年代の名勝負

 

プロ野球のテレビ中継が黄金期を迎えた1980年代。ブラウン管に映し出されていたのは、もちろんプロ野球の試合だった。お茶の間で、あるいは球場で、手に汗にぎって見守った名勝負の数々を再現する。

70年代vs80年代


阪急を下して日本一になった広島


 1980年代の日本シリーズで印象に残るものとして、巨人西武の“盟主決戦”を思い浮かべる向きは少なくないだろう。60年代から70年代にかけてV9という比類なき黄金時代を謳歌した巨人は、80年代に入ってブラウン管でも躍動した。

 一方の西武は80年代だけで6度のリーグ優勝、5度の日本一。ライオンズブルーの真新しいユニフォームもブラウン管に映えた。だが、それ以前、70年代のパ・リーグで黄金時代を謳歌していたのは阪急だった。その70年代の後半、セ・リーグで75年に初優勝を果たして以降、じわじわと黄金時代に入っていったのが広島。ともに赤をユニフォームにあしらい、黄金時代を経験する両雄が2度目に激突したのが84年の日本シリーズだ。

 初対決は75年で、以来9年ぶりの対決となるが、率いる指揮官や主力は変わらず、古葉竹識監督の率いる広島は山本浩二衣笠祥雄の“YK砲”、上田利治監督の阪急もサブマリンの山田久志、“怪盗”福本豊ら投打の主力は健在。ただ、阪急は75年からリーグ4連覇、3年連続日本一を果たしたものの、78年の日本シリーズに敗れてからは5年ぶりのシリーズ進出で、主力に全盛期の勢いはなく、打線の主軸は助っ人で三冠王のブーマーと、斜陽の気配は漂っていた。

 一方、75年は初々しかった広島も79年から2年連続で日本一を果たし、4年ぶりの進出だったが、投打とも若手が元気。陣容には変わらないものがありながらも、立ち位置が微妙に異なる対戦となった。

“投手王国”広島はブーマーを徹底的に封じ、打っては伏兵の長嶋清幸が第1戦の逆転2ラン、第3戦の満塁弾などで快進撃。阪急も第2戦は9回裏の猛攻で逆転勝利、王手をかけられて迎えた第5戦から2連勝で意地を見せる。そして第7戦。広島は“日本シリーズ男”山根和夫、阪急はエースの山田を先発マウンドへ送った。

 1回表、先頭の福本が右安打で出塁も二盗に失敗。それでも、続く弓岡敬二郎が1号ソロを放って先制する。広島は3回裏に衣笠の3号ソロで同点に追いつくも、6回表には阪急が一死から福本の左安打、弓岡の四球、簑田浩二の右安打で、ふたたび1点のリード。だが、その裏に広島は先頭の長嶋が右翼席へ3号ソロで早くも同点に追いつき、阪急に試合の主導権を握らせない。続く7回が勝負の分かれ目となった。

“日本シリーズ男”山根が完投


 迎えた7回表、山根は阪急の下位打線を三者凡退に封じると、その裏の先頭打者として中安打。ここで上田監督は山田をあきらめ、パ・リーグ最多勝、最優秀防御率の投手2冠に輝いた今井雄太郎をマウンドへ送る。だが、この継投策が裏目に出た。

 続く一番の高橋慶彦のバントに対応できず無死二、三塁のピンチを招くと、二番の山崎隆造に2点適時打を浴び、三番の衣笠は犠打、四番の山本浩を敬遠して、五番の長嶋は三邪飛に打ち取ったものの、続く六番の長内孝にも適時打を許して、この回3点。広島は8回裏にも八番の達川光男から猛攻を仕掛けて2点を追加して、勝負を決定づけた。

 9回表には阪急も2安打を放って追いかけるも、届かず。阪急の黄金時代が静かに過去のものとなったとき、黄金時代のピークを迎えたのが広島だった。

1984年10月22日
広島―阪急 日本シリーズ第7戦(広島市民)

阪急 100 001 000 2
広島 001 001 32X 7

[勝]山根(1勝0敗0S)
[敗]山田(0勝3敗0S)
[本塁打]
(阪急)弓岡1号
(広島)衣笠3号、長嶋3号

写真=BBM
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